元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「召される」

僕は思うのですが。。
清志郎さんの死のニュースを見てあらためて思いを強くしましたが)

天に召されるヒトは、早めに召されてしまうから、それは周りが引きとめなければならないのかなあ、と、思うのです。
引き止める、すなわち、運命を変えるのは、他人の手によって可能なのだろうなあ、と。


特にコドモ。。自分のコドモも、他人も、ですが、コドモというのは肉体的に弱い存在ですので、親が支えてあげて「召される」という(親にとってはサイアクの)事態を回避しなければなりません。

僕がコドモの頃と違い、一歩外に出ればびゅんびゅんとクルマが走っています。クルマは容易に凶器になりえます。(「凶器が走っている」といっても過言ではない)

コドモは、いともカンタンに道路に飛び出してゆきますし、クルマは、いともカンタンにコドモを轢き殺すことが可能なのでしょう。

それは、回避しなければならない。だからムカシよりも、親は子育てで負担がかかるのです。

これはひとつの例ですが。。

もちょっと、ねかせてみます。