元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

イトイ新聞の抜粋

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吉本隆明「ほんとうの考え」

吉本
‥‥人間というのは、自分のやってることに責任を持てと言われたりします。
そこでちょっと思うことがあるんですけどね。
糸井 はい。
吉本
糸井さんにしてもぼくにしてもそうだけど、ただひとつだけ、責任を持てないことがあります。
「どこの家に、どういう境遇に生まれたか」ということについては、みんな責任を持てないわけです。
糸井 はい。
吉本
そこは持てないけど、ちょっとは責任あるぞ、というふうに言わせる根拠はあるかというと──あるんですよ。

誰でも、お母さんのおなかの中にいたことがあって、体温であたためられて、栄養は、おへそを通してもらっていました。
あたたかい体内で、10ヶ月なら10ヶ月、住んでいました。
そこは、なかなか居心地のいい場所だったにちがいありません。どんなお母さんであろうと、体内にいるときは、そうです。

ところが、体内のものにおおわれていたところから、生まれた瞬間以降、急に外に出されることになってしまいます。
こんなこと(笑)、改めて言わなくても誰でもわかることですけど、母親のぬくみから出されちゃうんですね。
いままでエラ呼吸だったのに、空気も補給しなくちゃいけなくなってしまいます。出生したと同時にいきなりそういう致命的な大変化を、赤ちゃんはみんな体験しちゃうわけですよ。
ただ、自分では言えないだけでね。

これは傍からなのか後からなのか、いずれにせよ、推測する以外にないんだけど、これ以上の変化は、一生の中にはないんです。

糸井 うーん、そうですね。
吉本
そして、それを後から意識できるのは、人間以外、ないんです。

人間には、それ以上の変化を体験したことがないという「意識」があります。それは生涯残りますし、生きつづければ、その大変化を体験した悲しさやさびしさや苦しさは必ず残るんです。

生まれた瞬間以降に、お母さんが、なお体内にあるのとほとんど同じように育ててくれたか、そうじゃないか、ということは、人間には意識としてつきまといます。
考えなきゃつきまとわないですけど、考えたら、一生つきまといます。

糸井
考えたら、つきまとうんですね。
つまり、そこが自分の責任だ、と。
吉本
そうです。ここに生まれようと思ったわけじゃない、自分の責任じゃない、っていくら言っても、そうじゃないよ、ということです。
これは、非常に重大なことなんです。

生まれたとたん、試練を与えられたというのは、わりあい、みんな同じです。
母親が冷たかったか、意地悪か、生まれなかったほうがよかったと思ってたかどうか、そういうところは、人によってちがいます。

そこの問題を意識的にも、無意識的にも考えて、生活し、成長し、仕事をしていったかどうか、そのことは、その人自身の問題です。

(略)
生まれたときに試練を体験した、そのことを意識としてわかっていて、その悲しみやさみしさをよくとらえている人のことは、すぐにわかります。