元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

毛坊主からの坊主批判 ふたたび

髪を切る(剃る、坊主にする、ぐらいの)という行為はやはり、煩悩を断ち切るという意味合いは、あると思います。

髪にこだわるというのはやはりファッション。。そっち方面の煩悩につながってゆく。


でも、ムカシタモリ倶楽部でちらっと見たのですが、坊さんというのはどうやら袈裟のデザイン、色などにこだわりをもってらっしゃるようで。。

着るほうに気を使っていては、せっかく髪を剃っていてもムダなんじゃ? と思います。

在野でも煩悩を断ち切ろうとしている、あるいはほぼ断ち切っている人間はいます。

坊さんは、ホントに、煩悩を断ち切るために頑張っているのだろうか?
ああいう、テレビ番組にちゃらちゃらと出てくる人間がいるところをみると、煩悩を断ち切ろうとすら、現代宗教は考えていないのでしょう。


そして、僕の知っているごく狭い範囲では、在野の人間よりも坊主のほうが小金持ちの場合が多々あり。。
小金を持っちゃうと、煩悩を断ち切るなんてゼッタイ不可能だろうなあ、などと思ってしまいます。

なんで宗教法人がカネを持ってしまうのだろう? ソボクな疑問ですね。
なぜ、必要最小限な生活以上のカネを持ち、袈裟にカネをかけたり、ベンツに乗っちゃったり、ということになるのか?

やはり、宗教法人もビジネスなんですよね。。まんまと、高度資本主義社会に飲み込まれてしまっている。

「葬式坊主」以外の存在意義はあるのか? ということは、あちら側のギョーカイの方々は、自省していただきたいものです。
我々はビジネスである! と開き直っていただいたほうがまだ、潔い。