元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

長文:感謝する

感謝する。の、前段階が、不満を言わないということです。
まずそこに、到達しなければなりません。

不満を言わないというのは、まず、余計なことをコトバにしないということ。
ネガティブなコトバを発しないということ。これは、相当なる訓練がいります。

この訓練を経過せず、一足飛びに「感謝する」へ行こうとするとどうなるか。。
多くの「斎藤一人教」信者のように、ただ棒読みで「感謝します」「ツイてる」を口に出しさえすればそれでいいんでしょ、ということになってしまいます。

内田博史さんもブログで書かれているとおり、たとえば何かを継続するにしても、それが、楽しくて楽しくてしょうがない、ぐらいのレベルに達しなければ、もしかしたらやめたほうがよいのかもしれません。

つまり、ココロから「感謝します」「ツイてる」といえなければダメだということ。
最初は、演技でもいいのです。ただ言ってれば、「幸せ」とやらがあっちから転がり込んでくると思ったら、大間違いです。

そういう大きなカンチガイをしているヒトの多くが、どうなるかというと。。
「クレーマー」になります。「このアタシ(オレ)が! こんなにも、ガンバっているのに!何も報われない!」と。。

まったくもって、自己中心的から抜け出ていません。


斎藤一人さんは、棒読みしろとはいっていないはずです。まずは口に出してみる。演技であっても、ホントウに感謝しているという思いで「感謝します」といってみる。
感情と連動していなければ、ダメなのです。

やがて、演技がホントウになってくる。これは、ホントウです。


不満を口に出すと、多くの場合、そのコトバを投げつけられる相手が存在するのです。
不満を口に出すヒトは、それを相手が聞いて、少しでもイヤな気分になるのだという「思いやり」がない。

不満を口に出さず、ぐっと抑えるだけで、ヒトのためになっているのです。まずはそこから始めないと。


「まずは口に出してみる」のハナシで、口をついて出てくるのが不満ばかりでは。。
ふつうに考えて、そういう人間が好転するとは、思えますか?


そう、書いていて思い出しましたが。。
そんなことを言うと、「不満さえいわなきゃいいんでしょ」とばかりに、願望を口に出すヒトがいるのです。。(正直、手に負えない人種です)

何か、どこかで解釈をねじまげて、「願望を口にしていればいつかはかなう」と、(おそらく意図的に)カンチガイするのです。

感謝を意識的に口にするよりも、願望を口にするほうが、100万倍カンタンです。だから、多くの庶民は安きに流れます。

願望を口に出し続けていると、どうなるか?

そもそも、願望を口に出したならば、即、「計画」に移らなければならないのです。
が、ただ口に出すだけのヒトは、間違いなく、それはやらない。口に出したら、だしっぱなしです。

ですので、その願望のうち99.9%はかなえられず、自分のココロの中の「不満」領域に、すとんと落ちてゆきます。

でも、一応、「不満」は口に出さないと決めたから。。不満領域に落っこちた考え、思いというのは、たまる一方で、ガス抜きができず。。 やがて爆発します。

この飽食の時代、人間はどうやって爆発するかというと。。ムダ金を使うのですね。暴飲暴食をしたり衝動買いをしたり。。
資本主義にいいようにやられてしまうのです。

カネを使うとどうなるか? ますます、願望の実現からは、遠ざかります。
なぜならば、この高度資本主義の世の中では、人間の願望の多くは、ある程度のカネがないと解決できないからです。
願望すらも、資本主義に取り込まれてしまっているのです。


願望は口に出しても、いっこうにかまわないと思うのです。でも、あれしたい、これもしたい、と思うときには、瞬時に、それを実現するにはどうするか? の具体的なところまで思いをめぐらすべきです。そうすると、瞬時に、そのうちの多くは実現可能性が「きわめて」少ないということに気付き、あきらめがついて、「不満」領域には落ちてゆきません。
「検討した結果」、実現可能性が少ないということがはっきりすれば、もやもやっとした不満領域には落ちてゆかないのです。「しこり」を残さない。

ただし、あれしたい、これもしたいと思うときには、いくつかは実際に実現にうつさなければなりません。
僕らの願望の多くは、ちょっと重い腰を上げれば、実現できることばかりなのです。そして、僕らの願望の多くは、無料か、ちょっとした小遣い程度で実現できることばかりです。
そういう、可能な範囲の願望は、自分へのごほうびとして、「行動」によって実現させてゆく。
その姿勢を継続することにより、人生は高い確率で好転してゆきます。