元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

飽食の時代

カクゲニスト・アクティビティ

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幸せな環境を与えられているのに幸せになれないのは、すべて自己責任です。

という意味では、現在、ほとんどの日本人は幸せな環境を与えられているわけで。。
でも、多くのヒトたちは実際幸せにはなっていないわけで。。

たとえば、飽食であることに感謝すらできないということ。
着る服がたくさんあって、クローゼットを圧迫しているということ。
モノをいっぱい買って部屋が散らかっているということ。

世の中が清潔になってきたからアトピーや花粉症が蔓延するということ。

生活に困らないヒトたちが年間三万人自殺するということ。

カネ持ちの家の子が、イジメをするということ。

庶民の消費者が、カスタマーセンターに対してクレーマーになるということ。


哀れであり、滑稽なわけです。


飽食の時代から、昭和の時代を懐かしむムーブメントがありますが、あれは、ムカシのほうが幸せだったに違いない、という思いがあるのでしょうが、はたしてそうでしょうか?

昭和の時代は、みながみな、もっとガツガツしていたのではないでしょうか?
昭和の時代は、ただ単に「飽食」でなかっただけであって、幸せ感がそこかしこに蔓延していたわけではない。

あの頃は、未来をうらやんでいた。未来こそ幸せになれるに違いない、と。
で、未来になったら、どうなったか? 鉄腕アトムの時代は、訪れませんでした。
結局、「幸せ感」を感じている人間の割合は、変わらなかった。。

だから結論としては、(今のところ)どうあがいても日本人の「幸せ感」を感じれるヒトの割合は、変わらない。。
おそらく、戦時中であっても同じでしょう。

このままではゼッタイに変わらない。ではどうするか? というあたりから考えなければなりません。

モノが豊富になるとモノに対する感謝の念を忘れてしまい、不幸になる。
ではどうするか?

なんだか一気に、戦争とかしてしまって、またモノのない時代に戻ろうとするのでしょうか、人間というものは。


昭和の、質素な時代をうらやむだけで、決して戻ろうとしない。
戻ろうとしないのであれば、うらやむだけムダなのです。