向いていない場所にいることはない
僕は他人にものすごくキラわれることもあるし、ものすごく好かれることもあるようです。
僕は、仕事でいろいろな現場を渡り歩いてきましたが、自分がここではものすごく、「足手まとい」なんだろうなあ、と、胃が痛くなるほど肩身が狭いこともありましたし、逆に自分はこの集団でなくてはならない存在であるに違いないと確信し、また、そのような評価を得、自由自在に動き回れた現場もありました。
えてして、後者のときは死ぬほど忙しくなります。が、ビジネスマンとしては成長のときでもあります。
そして、前者のような現場には、自分にとっても相手にとっても、自分がいる意味はまったくない。胃が痛くなってまで得られるものは、何もないのです。
コドモには(自分の子だけでなく)、月並みですが、キミたちが活躍できるフィールドは、必ずどこかにあるのだ、ということをいいたいのです。
僕はそれを、身をもって知っている。
あるフィールドではものすごく足手まといになり、ある集団ではイジメられるかもしれない。
でも、(ホントに月並みだけど)あなたのことを待っているヒト(たち)はきっといる。あなたの活躍を待ち望んでいるフィールドはかならずあるのだ、ということを、強く強くいいたいのです。
カンタンにいってしまえば、運動音痴がムリして運動部に入ることはない。音楽のセンスがないのにバンドをやる必要もない。
そういうことなのです。
いいたいこと、忠告しておきたいことはふたつ。
そういう、待ち望まれたフィールドにおいては、アナタはものすごく忙しくなりますよ、ということ。(覚悟すること)
もうひとつは、あなたが(もしかして)されたイヤなことは、他のヒトにはせず、あなたの中でとどめておくこと。
イジメられたとか、罵詈雑言を図れたとか、ハブにしたとか、役立たずと暗にいわれたとか。
あなたのところでストップをかけることが、あなたの「器」の成長につながるのです。
あなたがやるべきことは、そういう人材を発見したら、うま〜く、ここはあなたがいるべきフィールドじゃないんだよ、ということを促してあげること。
それは、ムズカしいのだけれど。。なぜならば、一歩間違えば暗に「役立たず」といっているに等しいから。
「あっちのほうが向いてるんじゃない?」といってあげてもいいのかもしれないけれど、それもムズカしいところで、いわゆる「余計なお世話」になることも多い。
どのフィールドが自分に向いているか、というのは、見つけるのは自分だから。
向いていないフィールド、現場で、常にグチをこぼしながら自分を腐らせてゆくのも、自己責任。
いつの間にか、コドモのハナシじゃなくなってきてしまいましたが、コドモについていえばそれは自己責任じゃなく。
コドモが向いていないフィールドでふざぎこんでいたら、いつでもそこから救出してあげないといけないのです。その役目は、「主に」親。なかば無理やりにでもやってあげなければいけないし、親ならば遠慮なくそれができる。
親ならばコドモからのSOSを敏感に感じ取れるのです。
コドモの思い込みは間違っていることが多い。
コドモが、自分は向いている! と思い込んでいたり、力説していたりしても、親からみて「違うのでは?」と思う場合親のほうが正しいはず。
なぜなら、親のほうが見識豊かだからです。(アタリマエですが)
ただし、親がコドモをちゃんと見ているのが前提。コドモをほっぽり出している親に、コドモがどの方面が向いているかなんて、わからないのですから。
なぜならば、そういう親は、コドモを見ないでかつ、親のエゴを押し付けるから。