元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

人生という名のジグソーパズル

少なくとも、(人生をジグソーパズルとたとえれば)最後のピースを置く「ひとつ前」までは、進めなければなりません。

つまり、「リーチ」の状態。

「ひとつ前」以前ではまったく人生における満足感は、ないはずです。

「リーチ」してあがれるかどうかは運ですが、リーチまでもってゆくのは「99%の努力と1%の運」です。そして、ただやみくもに努力するのではなく「継続」すること。

「努力を継続する」なのか、「継続という名の努力」なのか。。

「継続」サイクルに入る前は、しっかり「計画」すること。
継続しながらも、人生における「流れ」には逆らわず、ある程度は身をまかせること。


リーチさえすればある程度の満足感は得られるはずです。
そこが、ある意味ゴールといってもよいでしょう。そこから先はどうせ「運」なのですから。


自分は、これまでの人生、なるべくハズレのないように、ピースを置いてきたつもりですが。。

いったい、どこに何を置いたら「リーチ」なんだろうか。。

人生のジグソーパズルにおいては、ピースは所与のものを与えられているのではなくて、どこかから探してくるか、自分で作り出さなければなりません。

自分でつくろうと思ってもゼッタイにつくれないピースなのかもしれない。それは10年後にぽっとどこかで見つかるものなのかもしれない。

だからムズカしいのです。

そこの「みきわめ」。自分が今必要としているピースは、つくれるものなのか? つくれないのだとすれば、「どこに」あるのか? 「いつごろ」手に入るのか?
などなど、それは人生という名の「シーン」および自分のココロの中に耳をすませば、おおよそはわかるものなのです。