元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「愛でる」とは

突然ですが、僕の考える「愛でる」とは。。

たとえば朝、花に水をやらなければならない日課があるとして、それを淡々とこなすだけでは「愛でる」までにはいたっていない。

たとえば、朝、急用があって早くでかけなければならない、というときに、「1日ぐらいいっか」とならないこと。その、お花のためにちょっと早起きして水をやることができるか。(それは、ほんの少しの手間なのです)

あるいは、毎日毎日早起きをしなければならなくなりました、というときに、朝の忙しい時間の中でしっかりと水をやる時間を確保できるか。朝、忙しいからという言い訳でもって、花に水をやるのが毎日でなくなったりしないこと。

そういうとき、「そもそも植物というのは毎日水をやらなくともいいんだよな」という、楽するほうで都合のよい理論がアタマをもたげてきます。それに打ち勝つことができるでしょうか。

愛でるというのははっきりいって一方的なものです。もしホントに、その花が毎日水をやらなくともよい種類なのだとしても、過剰なまでに毎日水を注ぐのが、愛でるということです。


そこまでできれば「愛でる」といって差し支えないと思いますが、真の愛でるは、その花のためだけに旅行をキャンセルする(一緒にいてあげる)とか、そういうことです。