誇りと繁栄(4)
人生観、のような、思想の話
- 誇りと繁栄(4)
戦後、誰もが、もう戦争はこりごりであると思ったわけですが、じゃあ戦争を「しない」ためにどうするか? ということをホンキで考えてこなかった、という内部批判がなされています。
戦争をしないためには、戦争を仕掛けなければよいというハナシだけではなく、攻め込まれないための策も講じなければならない、ということ。
攻め込まれないようにするためには、ナメられないようにしておかなければならない。ナメられないためにどうするか? という意味で自衛隊の存在は適切でしょう。
憲法と自衛隊の存在が矛盾している! と声高に叫ぶヒトたちはもう、表面的にはいなくなったように思えます。
ただ、今の日本の「攻め込まれないための策」というのが、自衛隊ではなく米軍になっている、と。それが、大きな大きな問題なわけで。。
安保のために沖縄は未だ、最前線で犠牲になっている。我々はその罪滅ぼしのためにせっせと沖縄に旅行にいき、観光資源にカネを落としている。
沖縄はもはや軍関係産業なしには成立しなくなっている。
それも犠牲といえば犠牲。。
安保条約がなくなって米軍が撤退したら、日本はとたんに他国から攻め込まれそうです。米軍の庇護の前提で訓練を受けている自衛隊が日本を自衛できるか、といえばそうはならない。なぜなら、日本の自衛隊には切迫感がないからです。(それは、自衛隊に責任があるわけではないでしょう)
じゃあ、どうすればよいのか? 日本の「誇り」を回復しつつ安保を継続することはできるのか?
こういったあまりにも大きな問題に対して、僕らひとりひとりははっきりいってどうすることもできないのだけれど、でも、たとえば「エコ」とか「地球が。。」とかそういうことよりも、考える優先順位は上にくるべきだと、思っているのです。
日本の「誇り」と「繁栄」の関係について、いつのまにか考えなくなってしまったことこそが、戦後最大の(マスコミの策略による)洗脳であった、と。
来年の抱負ではないけれども、考え続けるよきテーマができました。
でも、僕個人がやろうとしていること、これまでこの日記に書いていることは結局、日本人の「誇り」回復につながるものであると自負はしています。