日記を公開するということ
自分について
- 日記を公開するということ
なぜ自分はブログ(および日記)を書き続けるのだろう? と考えるのは誰もがとおる道なのだと思います。
僕が先日、ぼーっと考えたのは、オーディエンスがいようがいまいが、きわめて個人的な日記は自分に向けて発信しているわけで。。
つまりは「内省」です。
ではなぜ公開するか?という突っ込みに対してですが、
オーディエンスを求める度合いと、内省的な深さの度合いは実は比例する可能性はあると思うのです。
自分の「恥」は、それがすごいものであればあるほどできるだけ多くの他人にさらしてみたい、という。。
そういうマゾ的欲求は僕だけではなく多くの人間がもっていると思います。
いや、僕は「みんなもそうだから、僕も」とエクスキューズしたいわけではなかった。(たぶん)
あとは仕組みに依存しているというのもありますね。
インターネットというものが人間の虚栄心をうまく突いた仕組みであるということ。
情報を発信したい。自分を「みてみて!」という欲求は誰にでもあるのでしょう。インターネットはそれをカンタンに実現することができる。
従来の日記(本)は公開するのは仕組み的に難しいですが。。日記というのは、実は誰もが公開したかったのだろうか?
いや、違いますね。。
日記(本)は、どこか遠い遠い県のとある町の雑踏の中にぽんっとおいてきて、一生かかわることのない誰かに読んでもらいたいのです。
焼き捨てるよりは、読んでほしいのです。どこかの誰かに。
インターネットで日記を公開する(したい)というのはそういうことです。