元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

本を読んだほうがいい、というハナシ

「世代間」の話

  • 本を読んだほうがいい、というハナシ

今の時代。。本を読め、と若い世代に強要する理由がなくなりました。

それはなぜかといえば、他に享楽的刹那的な娯楽がたくさんあるからです。

で、今、本の優位性は何かといえば「本を読んでいれば後から活きる」という「不確かな確証」しかない。

そして享楽的な娯楽は、後で自身に何も残らないことは明白なのです。(記憶にすら、残らないかもしれない。。)
その差は大きいのです。

読書という地道な娯楽ですが、後でこれが活きるのだ、と信じることができる人間は読めばいい。乱読でいいのです。


自分は、読書に関しては完全に失敗しています。アタマがまだ柔らかいうちに本を読んでおけばよかったと後悔することしきり、です。
だから若い世代には「本を読め」と強く言いたい。


まず、なぜ失敗したかといえば、「読解力」が身につかなかった。若い時期の読書が直接的に何に役に立つかといえば、受験勉強の頃の、問題読解力です。これに、如実にはねかえってきます。

そしてもちろん、大学に入ってからの試験勉強であってもそうですし、就職面接などにも地味にはねかえってきます。

僕は中学高校時代に、まさに享楽的刹那的な方向にいってしまい。。
それがハンパだからなおさらタチが悪い。すべてにおいてハンパ。


著名な方のインタビューとかをながめていると、同じように若い頃はアソビまくったけれども、でも読書はけっこうやっていた、というケースが非常に多い。

あるいは、「ぜんぜん本は読まなかった」と謙遜しているけれども実は相当読み込んでいる、というケースも多い。
作家が「自分はぜんぜん本は読まなかった」といっているのは、作家という特殊な世界における相対的な読書量であって、一般人と比較すれば当然、読んでいます。

そこなんですね、大事なのは。
つまり、アソんでると見せかける術にたけていることが必要なのです。

若い頃、人生これでいく、と決められないのであれば読書はないがしろにしないほうがよいです。読書は、自身がどんな方向に進むにせよ、ベースになるものです。

シツコいようですがそして、読書はまず、受験に役に立つ。受験というのはその後の人生を大きく左右します。中・高生が思っている以上に。


そして僕は、人生の師を持ちたかったなあ、と最近思うようになっていますね。
勝手なこといってるなあ、というのは自分でもわかっていますが。。
自分が享楽的刹那的な方向にいってしまったときに、それを強力に押しとどめてくれるヒトがいればなあ。。なんて、思ってしまいます。

糸井重里さんが、自分が若いときにはお手本となる年輩の人間がいなかった(いたのだとしても、気づかなかった)から、今、自分は自分のメディアで、若い世代に、お手本となる年輩の人間を紹介しているのだ、みたいなことを書いているのを読んで、とても納得感がありました。

僕についていえば、リアルな「人生の師」でなくともよかったのだと思う。
本を読むことによって、本の向こうの師を見つけることができればそれでよかったのだと思います。

リアルでもバーチャルでも、指針となる「師」がいないがために僕はすべて独りでいろんなことを見つけていかなければならなかった。
まァそれにより自分がある意味、たくましくなったのは事実なのですが。。

相当、余計な苦労もしたなあとは思います。