元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

観光ぎらい

ミチクサ(散歩、都市論etc)

  • 観光ぎらい

僕が観光を好きではないのは、実際観光に行くと自己嫌悪に陥るから、といいますか。

観光、といえばやっぱり、旅行ガイドみたいのを頼っていくわけです。
そこには「行くべし!」みたいなスポットがいくつか書かれていて、そこから読者がセレクトするわけですが。。

「(ここの土地には)その観光名所以外に何があるのか?」と、ほんの少しでも思ってしまう自分がイヤなのです。
何があるのか? といっても。。市井の生活があるに決まっているのですよ。その場所は観光名所だけで成り立っているわけではない。やはり、庶民が作り上げているのです。

それを重々わかっているつもりではあるのですが。。


僕はもし時間があったら、旅行にいったらじっくりとそういう市井の生活に食い込んでいきたいのですが、観光旅行という限られた期間でそんな時間がとれるわけもなく。。
3泊とか4泊とか、そんなスパンじゃ結局その土地の何も知ることはできない。

がつがつと貪るように、仕事なみの忙しさで観光名所を踏破してゆく自分がイヤなんですよね。


そして、実は、その土地の人間は、観光名所という場所をセットしてそこに観光客を誘導してカネを落としてもらいつつ、実は市井の生活を隠しているのではないかという気がしてなりません。

つまり、観光名所というのは目をそらすためのもの。
市井の生活をさらしてしまうと、観光客は幻滅してしまう
のでしょうね。あまりに「エキゾチック」さがなくて。

日本だったら、ふつうにテレビがあり、白物(家電)もあり、人々は郊外型のファミレスやスーパー、量販店を利用し。。

僕は、そういう「ふつうの生活」の奥にあるその土地独特の「何か」を嗅ぎわけていくのが好きなのですが。