元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

身体維持とファッションは相容れない

人生観、のような、思想の話

  • 身体維持とファッションは相容れない

きのうの続き。
快楽をともなう行為というのは、アブナいですね。その行為は快楽の代償としてゆるやかに自身を蝕んでゆく。

「情報」もそうだと思うのですよ。快楽のみを追求した情報を浴び続けると、間接的に身体を蝕んでゆくに違いありません。


ところで、身体の維持(食べるのも運動もそうですが)に「ファッション」が介在するのは、よくないと思っているのです。
「快楽」とも密接に絡むのですが。。

たとえば健康のためと称してスポーツジムに通うとして、そのスポーツジムをスペック(どんな器材がそろっているか、どのぐらい専門コーチがいるかとか)以外のお洒落加減とか、芸能人が通ってるかとか、そういう基準で選んでしまう、とか。
そういうことです。

食べるのもそうですよね。いわゆる「グルメ」と称される方向性はもうカンゼンにファッションであって、身体維持のための食事とは別のものです。

外食において「身体にやさしい」とか「栄養がある」とか「バランス」とかをウリにしているのであればそれはすべて欺瞞です。

再録

その後、考えたのは、私は、「大人」になっている自覚はあって、社会的に行動しなければならないと感じていますが、大人にすらなってないヒトが多いんだなあ、ということです。

大人にならなくて何が悪いのか、という言い訳が確立されているから。。 そういう、「世の中に対するプチ反抗」をしている自分に酔ってるうちは、どうしようもないんですよね。。

早めに「大人」になってしまっておいて、耐性をつけておかないと、「いいオトナ」になってからやっとホントの大人になると、そこからリカバリするのはけっこう困りますよ、と。それだけは言えます。

これは、自分がかつてバリバリの「モラトリアム志向」だったから、言えることなんですよね。


この頃は「大人」を卒業するにはどうすればいいのか、とマジメに考えていたんですね。(今も考えていますが。。)

「大人」を卒業した形っていうのは果たして老後だけか? と。