元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

自己嫌悪との闘いに終止符を!

ラーメン屋に行列するときは、常に自己嫌悪との闘いでしたね。。

「なんで自分は、こんなことをやっているのか」と。

常に言い訳は(誰に言い訳するわけでもないのですが)「本を読む時間を確保できる」と。。

でもそれはそのとおりで、何十分も行列すればだいぶ文庫本を読み進めることができます。

それにしてもなぜあれほどまでに「宿題店」を設定し、「行かなければならない」という強迫観念にとらわれていたのか。。

よくわかりませんが、あれも宗教的ではあります。

最終的に「訣別」の決め手となったのは、あの二郎系とか、ジャポネとかに集まる「人種」です。「なんだかなあ」と思わせるセンス、「秋葉系」との近似。。

そうではない人種も混じってはいるのですが、集団としては「なんだかなあ」であり、自分もそう見られてしまうのかと思うと。。

それと、行列「できる」ということは結局、人生において「ヒマ」であるということですし、あの集団はおそらく「ヒマ人」だと思われてしまっている。。

自分はゼッタイ、ヒマではない(はず)。

と、いうことです。

おそらく、15年ぐらい前、自分は今と同じように「行列してまでラーメン食べるかよ」派でした。ですが、あるときにそれではいけないと思うようになりました。

で、今再び「行列してまでラーメン食べるかよ」に「一巡」してきました。

当時、「それではいけない」と感じていた理由は、「食わず嫌い」ではいけないと強く思ったのですね。「そういう世界」も見なければ、と。(そして結果としておいしいものを食べれたらラッキーということで)

「一巡」して始めて、強固なオピニオンが形成される、ということを、自分は経験上知っています。

(ラーメンだけでなくいくつかの経験から。。)

そして、一巡ということは戻ってこなければならない。行きっぱなしになってはいけないのです。