元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「まず自分」

本来の日記部分

  • 体調

風邪はいつの間にかなおっていました。図書館でこのような本を借りました。

病気にならない人は知っている

病気にならない人は知っている

抜粋・紹介

  • 日 本 一 の 大 金 持 ち の 教 え  第745回  2008/06/21
    • 「褒める気になれば褒められる」

ほめる気になればいくらでもほめられる。けなす気になればいくらでもけなせるの。自分をけなして生きたら地獄だよ。「自分のあら」を探す人は必ず「人のあら」を探すよ。(『地球が天国になる話』(KKロングセラーズ)より)

斎藤一人さんは「まず自分」だとおっしゃっています。まずは自分が自分のことを尊重し、尊敬することが非常に重要なのだそうです。そして、自分を尊重できるようになってはじめて周りの人も大事にできるのだといいます。確かに、自分の心が満たされていなければ、周りの人を尊重する「ゆとり」は生まれませんよね。まずは、自分を尊重し、自分の心を満たすことから
始めていきたいものですね。

Q. 斎藤一人さんは「自分を尊重できない理由」は何だとお考えでしょうか。
A.『完璧主義者だから』です。不完璧主義者になることによって、自分を尊重できるようになるようです。

(抜粋・紹介おわり)

再録

* 作者: 東浩紀, 北田暁大
* 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
* 発売日: 2007/01
* メディア: 単行本

都市の「テーマパーク化」という表現は「なるほど」と思いましたね。

この観点から考えてゆくのは面白い。

私は、もしかしたら壮大なテーマパークのギリギリ敷地内に住んでいるのかもしれませんし。(単に「都心」ということですが)

都心に住みたいという欲求とは、「都心テーマパーク」で戯れることを望んでいるということなのでしょう。

画一化された地方都市がキライなのはテーマパークではないから、というか、擬似でもリアルでもいいから、都市に「面白み」を求めたいのでしょう。

ロングで散歩していると、街の雰囲気が移り変わってゆきますが、ゴールに到達するまでには「テーマパーク」(再開発地域も、ムカシながらの繁華街も、結局は「テーマパーク」であるといえる)がほしいですし、リアルな生活の雰囲気も街の中に感じとりたい。

でもそれは自分が自他ともに認める「散歩者」だからであって、そうでないヒトたちは他人のリアルな生活を感じる必要はないと考えています。それは、テーマパーク以外のところを歩くのは、非日常イベントとしてはカレらにとって意味がないからです。

この本では、たとえば下北沢を住民じゃない外部の人間が勝手に盛り上げている街、という評価がされているようですが。。住民が自分の街を誇り、盛り上げている街があるのか?

新しい街には新しい「清潔な」コミュニティがあります。タワーマンションには住民専用SNSがあったりします。

でもそれは、「その街を好きだから」ではないでしょう、おそらく。これから好きになるのかもしれませんが。。

下北沢の景観を守るために立ち上がっているのが、住民ではないとするならば、確かにそれは勝手なのかもしれませんね。付近住民からすればどーんと一本、大きな道路を通して、そこに「清潔な」街が広がり、今までのサブカルチャーが跋扈する「ウルサい」路地が駆逐されていったほうがいいのでしょう。

ところで。。下北沢を愛するヒトたちなのであればその周辺に越せばいいのではないか? 街を愛したらそこに住みたくなるのではないか? と思うのですが。。

そこにはいろんな事情がある、というのはもちろん知りつつも、「そんなに好きならそこまでやれよ」とはいいたいですね。

自分は、大げさにいえば人生をかけて、都心に越してきたわけですから。。 ただ都心が好きだからという理由で。

ですから、住民の立場で、いろいろなサークルに意見もできますし、参加して生の発言もできます。

ところで、まだそれほど読み進めていないので、また感じることがあったら書きましょう。。

とにかく、同世代のヒトたち(でもちょっと下、かな?)が私の「得意分野」について対談しているのを読むのは、面白いし、参考になりますね。