元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

信心の手段はなんでもいい

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • 子供には、田舎暮らしだけはさせたくない(20070122)

こうありたいまたは反面教師

  • 信心の手段

久々に宗教ネタ。。

信心の手段はなんでもいいと思うんですけどね。。
つまり、何教であろうと。いえ、無宗教であっても、よいと思います。
教えそのものが目的化してしまってはいけない。

ゴーマニズム宣言」にも書かれていましたが、道端の地蔵様になんとなく手を合わせてしまうような気持ちとか、「自然」をも超えそうな超越的なものを畏怖し自然にうやまおうとするキモチとか、まずそういうところが大事です。
そういう豊穣なキモチになっているときに「あれ? 自分は無宗教だったのでは?」と、余計なココロの葛藤を招く必要はないのです。それは単なる「カタ」にすぎません。

「ココロのおもむくまま」でよいのです。自分が、ホントウに危機に陥ったときには、マリア様に祈ってしまおうが阿弥陀様であろうが、祖先であろうが恋人であろうが家族であろうが、なんでもよいのです。自分の「ココロのよりどころ」はなんでもよいのです。

特に、そういう自然な心持のベクトルをひんまげて「利用」しようとする新興宗教とは、強く対立してしまうかもしれない。

何教なのか? というのは単にファッションにすぎません。

再録

(略)
「デカいものを所有する」ことにより責任が発生して、それをこなすことによりオトナになってゆく、みたいな風潮があると思うのです。

たとえば男性が家庭を持ちコドモを持つことにより「家族を支える」という責任が発生して「オチついてゆく」ように。それにくらべたらちっぽけなことかもしれませんが、「デカいもの」を所有すれば、それがデカければデカいほど、責任も大きくなってゆきます。

でもそれは、もともと責任を回避する傾向があるコドモが、成長してゆく過程で「デカいもの」を所有する必要があった、という話で、すでに責任が発生しているオトナについては、さらに「デカいもの」を所有して責任範囲を拡げてゆくかどうか、は自由意志に任されるのです。

「デカいもの」を所有することにより「快楽」が得られるのであれば、そうすればよい。ただし、それを維持するための継続作業が必要になります。

それを、月並みなコトバですが「責任もってやれますか?」ということです。「快楽の代償」として。

デカいものを所有すれば、そのデカさに比例して所有欲も満たされてゆくわけですが、そこで発生する維持のための作業を放棄する、あるいは、見てみぬふりをするヒトたちが最近、非常に増えてきています。

それともうひとつは、最近の日記のホットなトピックでありますが。。

自分が「デカいもの」を所有することになれば、「責任を感じて」それを維持できるよう全力で努めるのでしょうが、それに対して「押し付け」が発生するという話。

わかりやすいたとえでいえば(以前書いたかもしれませんが)

コドモが「ペットを飼いたい!」と親にねだるとき、親は「育てられるわけないでしょ? 自分で世話できるの?」と返します。コドモは、その時点では「ペットを飼いたい!」でアタマがイッパイなわけですから、その場しのぎで「やるやる! 自分でぜんぶ世話もできるよ!」と自信満々でいいます。それを疑っているわけではなくて、コドモはその時点ではゼッタイにやれると思うわけです。

かくして、親のほうが折れて、ペットを飼い始めると。。 案の定、コドモは自発的に「継続作業」が大の苦手ですから、いずれやらなくなってきます。

親も、最初は「自分で世話するっていったでしょ!」と怒り、コドモも渋々やるわけですが、そのうち親も面倒くさくなって自分でやるようになってしまいます。

で、悪いことに(?)親のほうがそのペットに愛情を持つようになったりして。。 その頃コドモは別なアソビに夢中です。

親が、頑なに「自分で世話するっていったでしょ!」と突っぱねてペットの世話を放棄し、コドモもやらない、という状況になるとペットは死んでしまいますよね。そこでどっちが折れるか、というと、理性を持つ親のほうです。まんまと理性につけ込まれるわけですね。

(このたとえでいえば、コドモはつけこんでる気はないのでしょうが。。結果としてはそうですよね)

「ココロがセマいヒト!」論にもつながってきそうですね。皆でペットの世話(「維持作業」)を放置して、仮に死なせてしまったとすれば、世間的には非難轟々であり、結局責められるのは親のほうです

このたとえは親子の関係ですが、これと似たようなことが大人とオトナの関係性において発生します。そして、常に理性があるほうが折れなければならない。

この日記ではそれが「馬鹿らしい」と主張しているわけです。「馬鹿らしい」結果になるのは目に見えているから、このたとえでいえば、オトナ(「維持作業」をできそうにない)が「ペットを飼いたい! 自分で世話するから!」と言ったときには、意識的にか無意識かはわかりませんが、理性につけこむ気満々なわけですから、ゼッタイに折れずに完全ムシすべきなのです。