早寝早起き、朝ごはん
my格言・my座右の銘(自作自演)
- 「安定」により「不安」になるという矛盾。(20070622)
こうありたいまたは反面教師
- 早寝早起き、朝ごはん
たとえば、早寝早起きや朝ごはんをしっかり食べることの重要性が、これほど、何十年も説かれているにもかかわらず、相変わらず僕の周りは、それを励行しているヒトがほとんどいません。
このことについて、もっとマジメに、考えなければならないと、ずいぶん前からそういう思いがあります。
前にも書いたと思うのですが、僕は、早起き&朝がっつり食べるを、数年続けてきて、その間、自分の人生がじわじわと変わってきたことを実感しており、たまには、その効用を他人に力説することもありました。
でも、やがて馬鹿らしいのでそれはやめました。
周りにほとんどいないということは、僕は、早起き&朝がっつり食べる という行為を継続しているだけで個性的と思われているようですし、それはそれでメリットなので、じゃあ別に仲間が増えなくともいいかな、と。
そもそも自分が勝手にやっていることですから。
そして、このじわじわと効いてくる効用も、(周りが)誰もやらないなら僕だけ享受させてもらいますよ、と。
ただ、嫉妬羨望によるプチ攻撃は、ここ数年、だいぶ受けてきました。たとえば、早起きできるということは、仕事の帰りも早いんだろうね、オレはいつも残業だからとても真似できそうにないや、みたいな、そういうことを言われます。(今でも)
=>まず早起きのほうが習慣づけば、旧来の習慣であるだらだら残業はゼッタイに減ってきます。そして、そもそも任意であるはずの「残業」を強制されるような仕事なのであれば辞めたほうがよろしい。
落としどころとしてはまず、残業を、朝やるというふうにシフトしてゆけばよいと思います。多くのエクゼクティブ(ビジネス・シーンにおける成功者)はそうしています。
とにかく、何かを続けることにより「悪いことはまったくない」という行為、これを、大多数の日本人がないがしろにしているのだとしたら、そうさせている勢力はいったいなんのために日本人をそう仕向けているのだろうか? と、それをもっと深く考えるべきだと思います。
父親が夕飯の食卓にまったくいない(いさせない)。コドモと父親がまったく会わない家庭、とか。
それを常態化させることにより、そうさせている勢力はいったい何を得てきたのか? と。
同じように考えてきたヒトもいるでしょうし、いろいろな言説も出ていますが、もう少し違う側面で考えたいなあ、と、思っています。
でも今日はここまで。。