元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

日常への組み込み

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • (思想的に)「一巡」して始めて、強固なオピニオンが形成される。そして、「一巡」ということは戻ってこなければならない。行きっぱなしになってはいけないのです。(20071102)

再録

イベント性の高い「行事」を、定期的に実現できるのであれば定期的に実行すればいいと思うのですが、定期的に実現してしまうと「イベント性」が薄れてしまい、イベント性を好むヒトからみると「ありがたみがなくなる」という。。

それが自分には理解不能なのです。
非日常を日常に組み込んで何が悪いのか、と。
非日常であろうが日常(定期作業)であろうが、やることは同じ。違うのは気持ちの持ちようだけ。

たとえば、ものすごいおいしいカレーを食べました、と。そのカレー屋さんはちょっと遠いところにあります。しかもちょっと高いです、と。
ですが、ちょっと手を伸ばせば実現可能なのであれば、それを月一とか、あるいはボーナスが入ったら行くとか、定期的に行くようにすればいいのです。

それに対して「行きたいときに衝動的に行くのが楽しい」という考え方があります。そういうヒトに限って、二度と行かなかったりするのです。そもそも移り気ですからね。

日常に組み込もうと思うほどでもないイベントは、その人にとっては大したことではないのです。

定期的にやる、行く、行う、という行動様式自体が、否定されつつあるような気がして、それを自分はとても危惧しています。
「イベント」が、日常に組み込まれた瞬間に、それは味気なく、つまらないものに変化しますか?
しないはずでしょう、やることは同じなのですから。