元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「お告げ」

死、あるいは宗教に近い話

  • お告げ

仏教にはいろいろな宗派があり、かつ、いろいろな「経典」が残っているという。。
ところで「トレンディドラマ」というのがかつて、ありました。あれこそ、バブル当時、そしてその後の「戦後日本教」の「経典」ではなかったか、と、今になれば思えます。
そして、「戦後日本教」とはつまりはほぼ「テレビ」であり、各キー局が宗派になるわけですね。
トレンディドラマは各局でやっていました。それぞれ似たような内容であり、結局、どの宗派(キー局)も、根本思想は同じなのです。
若干独自性を出しているNHKも、根本は民放と似たようなものです。

それと、ちょっとハナシ飛びますが、「経典」といえば「あいだみつを」とか。。「一杯のかけそば」とか。
ああいうのも何百年も経てば戦後日本教の「経典」として残るかもしれない。数百年後の学者が専門的に調査するかもしれません。

この時代の新興シューキョウも、同じです。「です」と断言できるのかどうかはまだ詰めていませんが、同じ類であることは断言できます。
なにせまず、教祖が都合よくこの世に「降臨」するところからして、テレビ的ですよね。「神からお告げを受けました」と。

前にも書いたかもしれませんが、ヒトは誰しも「神」的な存在から夢の中で「具体的でない」お告げを受けているものです。
ですが、そのお告げというのはゼッタイに、他人に施しを与え、他人は自分を敬うべきなのだ的な、自分を上にみるようなお告げではないはずなのです。

それは、単なる、「願望」じゃないでしょうか。夢の中に出てくる、理想化された願望。

そして、「神」的な存在からのお告げをさらに、本人の都合のよいように取捨選択して、自分に都合のよいものだけ意識上に引き上げる「手法」を使っていますからね。。