可愛がっていたペットの死と「憎たらしい人間」の死はどちらが重いか
こうありたいまたは反面教師
- ペットの死
ペットの死は悲しい、というハナシを、聞きます。
それはわかりますが、ところで、一家の「人間」が死んだらもっと悲しみますよね? 家族が死んだ悲しみに比べて、ペットが死んだときの悲しみが同じぐらいに位置づけられるのだとしたら、ヒトの死とか「尊厳」といったようなものをバカにしていないでしょうか?
「犬の●●は、家族の一員でした」といいますが、犬は余計な人間のコトバをしゃべらないから、都合のよいイメージを勝手に犬に投影しているだけではないでしょうか?
黙って聞いてくれるから平気で愚痴る、とか、そういう位置づけ。
ペットと、その家の反抗期の家庭内暴力息子と比べたら、果たしてどちらがかわいいか? どっちが死んだほうが悲しいか? 見ものですね。
歴史で習った、徳川綱吉?の愚策にそっくりなような気がしているのです。(「生類あわれみの令」でしたか)
ていのよい「ヒト」の代替品としてのペット。「嗜好品」と同じ位置づけのペット。