元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

他を知ること

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • 何ごともやり過ぎはよくないのかもしれないが、何かひとつ、自分が真に打ち込めるものだけはやり過ぎるぐらいがちょうどよいのではないか。(20071009)

再録

自分は都心を中心に活動していますが、都心に(悪い意味で)固執しているのではないのです。たとえば仕事でとある場所に「行かされる」のも、縁として大事にしたいと考えています。

仕事自体は120%つまらないものでしたが、辺境の地域などに行かされることによりその地域の空気に触れるのはとてもよいことです。

今回の江東区もそうですが、各所での「活動」を続けることにより本来の自分のライフワークである都心の「活動」も深みを増してゆくというか。。「それにしても江東区はいいなあ。。」とか、発言してはいるのですが、それはあくまで都心がいちばんというベースがあるわけです。そこに揺るぎはないのです。

自分は「江東区はいい」とかいうと、「ほおれみたことか」と揚げ足をとる輩がいますが。。正直すごくウザい。

それはなんだろう、先輩面? でしょうか。なんだか悲しいというか。。

そういえば自分は散歩者という自負はありますが、職場で、職場近辺に全く興味を示さない人が多いことに、実は数年前から気付いていました。基本的に仕事場と家の往復で、昼食はビルの中の食堂か、コンビニ。たまに、連れてゆかれるままに近辺の飲み屋にいく。。といったような。

つまんないだろうなあと思っていたのですが、それが当たり前らしいというのは最近わかってきました。そのくせ「うまい店知らない?」とか聞かれたりするんですよね。。 自分の足で稼いでいないにもかかわらず。

そういう人のうちのさらに大部分は、自宅付近についてもあまり知らないのではないかと推測されますが。。どうなんでしょう。