元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

能動的よりも偶然性

ミチクサ(散歩、都市論etc)

  • 【重要】能動的よりも偶然性

押し付けられる情報には100%ロクなものはない、というのは、だいぶ以前からの自分の持論です。
それよりはもちろん、自分が能動的に求めて得る情報のほうがよいに決まっています。
が、それは必ずしも最良ではないのです。残念ですが。。

ヒトというのはそもそも間違いが多いので、自分が「これだ!」と思ってゲットした情報も実は見当違い(間違っている、あるいは、それどころか自身に悪影響をおよぼす)のことも多いのです。
確かにただ漫然と情報を受け入れるよりは、よいのですが。。どのような手段でゲットした情報であっても、自身で咀嚼する前に、フィルタが必要なんでしょうね。それが現代において「リテラシー」とよばれるもの。

で、最近強く思うのは、もっともよい「情報」との出会いは「偶然」なのですね。
でもそれは、偶然「受動的に」飛び込んでくるという意味ではないのです。そこがムズカしいところで。。
能動的にアンテナをはって、そこに飛び込んでくる、とでもいいましょうか。

つまりは、ふと忘れたころにやってくるんですね。

再録

(略)「家はやっぱ買わなくちゃ!」とか「やっぱサラリーマンが安定して。。」などなど、とにかく、私に対して何かしら意見を言ってくるヒトのオピニオンの傾向には、トレンドがあって、一貫性はないのです。彼らは、テレビやマスコミでその時々に話題になっている社会性のある出来事をそのまま何の意見も持たずに私に教えてくれているだけなのです。

(再録おわり)
という理由で、僕はヒトの意見を「ほぼ」聞かなくなってしまったのでした。。
ヒトを選ぶ、というのはホントに大事です。