元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

戦後史

本来の日記部分

1月の終わりには「もう1月も終わりか」と思い、4月には「もう4分の1が終わった」と思い、6月はとばして10月には「もう半期が終わってしまった」と思い、11月下旬には「もう年の瀬か」と思う。

夏の終わりには「今年の夏は暑かった/冷夏だった」の議論が交わされ、真冬には「今年の冬は寒い/暖冬だ」という会話をする。

そんなものです。

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • 日常を継続するのと、日常の中で変化を見つけて変わり続けてゆくことは、両立できます。(20080321)

再録

自分の「活動」というのは、ただ散歩するだけじゃなくて、散歩の中で戦後史を感じる、そして具体的に戦後史を読む、というのも含まれます。

最近、結局近い昔である戦後史ですら、捏造されつつある、という結論に達しつつあります。これは諦観に近いものです。

自分がリアルに知っている戦後というのはもう昭和50年ぐらいからになりますが、自分が育ったのは田舎です。結局情報を取り込んでいたのはテレビでした。

自分が住んでいる田舎の歴史なぞハシにも棒にもかからずに歴史から消えてゆきます。

まあそれはいいとして、田舎で育った人間が東京の歴史を編纂していったりするわけですね。

それぞれの時代を映すビジュアルが、すでにカタにハマりすぎているような気がするんですね。たとえば昭和45年であれば浅間山荘とか、全共闘とか。

ビジュアル的にインパクトのある事件しか残っていない。そして、戦後をいろどる「事件」からしか歴史を読み解こうとしない。

日本という国の歴史ということで一括管理しているから、地方の特性が浮かび上がってこない。

自分がコドモの頃はまだ、電気の通っていないところがあったのです。

自分のような地方出身者が港区という特異なローカルに居住しつつ、港区の歴史をたどってゆくと、また違った趣があるのです。ここには常に市井の生活があり、それは過去も未来も現在も変わらないだろう、ということです。