元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

自分のココロに耳を澄ませ

本来の日記部分

うさ晴らしに買い物。散財。自分はホント、服とか靴とかが好きなのだなあ、とあらためて思います。
ところで、「お洒落なヒトほどインナーに気をつかう」とか、そういうファッション誌の宣伝文句を、ほぼ定期的に見ますが、そういう洗脳文句を見るたびに憤慨しますね。

ただ単にインナーウェアのメーカーが自社の製品を買ってもらいたいだけですから。

インナーは自宅の中のようなものです。インナーが「よそゆき」では落ち着きません。もちろん自宅の中だからこそゴージャズに着飾りたい、家でそういうゴージャスな気分に浸りたい、というヒトもいるのでしょう。それはわかります。でも日本人の大部分は「自宅はタタミにコタツでみかんを食べて。。」派のはずです。

インナーに「気をつかう」というコトバに対してはおおよそagreeなのですが、それは、ブランド物を買えとか、あえて高いものを買えというのではなくて、「安くて良質なものを賢く選択する」ということです。
「気をつかう」とは精神的にも、ということ。僕だったらインナーに高いものを身につけてしまったらなんだか居心地が悪いというか落ち着かないような気がします。
結局は、サイズがぴったりで、コットン100%であればそれでいいのではないかと。特に僕は皮膚が弱いので実は「気をつか」っています。

人生観、のような、思想の話

  • 自分のココロに耳を澄ませ

この日記にも何度か書いているフレーズかもしれませんが、とにかく、「自分のココロに耳を澄ませてきた」わけですね、ここ数年は。
なぜそうしているか、といいますと、「それが今、必要だから」と答えるのがもっとも、ふさわしい、というか、わかりやすい。なぜ今、必要なのか、といえば。。

まずこの日記のとっかかりは、悶々とした思いを吐き出したかったから、というのはあったのですが、もはやそれはどうでもいいというか。
あの時期にやらなければいけなかった理由は、もっと深いところにあったのでしょう。

ネットで日記をつけていると自然、「自分のココロに耳を澄ませ」ることができるのですね。僕の場合。
しかもそれは深夜ではなく早朝でなければいけないようです。僕の場合。

で、「自分のココロに耳を澄ませ」た結果としてナニがわかってきたかといえば、「これだ!」というものはなくて、なんとなく、いろいろなことが、わかってきた、ぐらいですね。
でもそれで十分なのです、ここ数年の評価としては。

これからももっともっと「わかってきます」。(たぶん)「みえる」まではあと数年かかるのかもしれません。


再録

(略)
原田氏の物言いには共感できる部分がたくさんあります。

以前に書いたかもしれませんが、この方の思想は選民主義です。私もそうです。家柄とか、最初から与えられた地位ではなくて、努力して「選ばれた民」になりましょう、という感じ。

そして、自分たちの世代(30代後半ぐらい)が大きな可能性を秘めている、と感じているところも同じです。「やっと我々の時代がきたか。。」と。

「若い世代の中で、「搾取されていること」に対する自意識が非常に弱い人が多くなっている」というのはそのとおりだと思うのですが、この記述は、原田氏は若者(自分たちより下の世代)に期待していないことを端的に表してはいないでしょうか。

基本は、「同世代間連帯」ですからね。下の世代とは、ビジネスライクをのぞき共闘はしないでしょう。もともと合わないのですから。