元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

熱引く=>のど痛み

本来の日記部分

  • 体調

熱にうなされながら、寝たり起きたりで結局12時間ぐらい寝てしまいましたが、仕事は午前休をとっただけで復活。Mr.ワーカホリックと呼んでほしいですね。

  • 仕事

でも、フリーで「ばりばり」と仕事をされている方は皆ワーカホリックといっていいでしょうね。フリーの方は仕事があるときにどれだけがーっとやれるかがイノチですから。いつ仕事がなくなるか、わからないわけですから。。

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • センスのある人はビギナーをバカにしない(20061223)

こうありたいまたは反面教師

  • 母親のハナシ

僕の母親は、ムカシムカシ明石家さんまさんのファンで、「男女七人夏物語」「秋物語」をビデオに撮って、それこそ擦り切れるほど見ていました。

好きな映画(古い洋画)は、レンタルビデオ屋が100円セールのときだけ、何度も何度も借りて見ていました。
(ビデオというのは買うのではなく借りるもの、という固定観念があるのでしょう。そしておそらく、ビデオのダビングの方法を知らないのでしょう)

気に入った本は古本屋で買って、何度も読み返していました。


結局、そういう人生は素晴らしいし、そういう人生のほうが良いのだろうな、と気付いたのが、ここ数年なのです。

再録

以前、文武両道の是非の話の中で、優れていないところばかり指摘される話を書きました
子供の頃、勉強ができても褒めてもらえず、勉強ができることは完全にデフォルト扱いにされてしまっていたことに対する恨み節でしたが。。

オトナになっても、こういうことがあります。最近、少しずつ怒り気味になってきています。ずっと違和感を感じてきたことが、たまりにたまっているという感じです。

たとえば。。

私は料理はほぼ出来ないといって差し支えありません。包丁はほとんど使えませんのでもちろん千切りもできません。リンゴの皮もむけません。

炒め物以外の料理をほとんどやったことがないので、料理に対するセンスは皆無である、といってよいでしょう。

それは、認めます。

まず、そんな私であっても、外食をして、そのお店についていろいろ語る資格はあります。

これは、音楽やってないのに音楽評論できるか、というミュージシャン側の評論に対する批判、それに関する議論と相通ずるものがあります。

ミュージシャンは評論する感性はあるかもしれませんが公平性を保てないかもしれません。また、評論をエンタテイメントとして文章に乗せてゆく技量がないかもしれません。

こちらは、料理のプロではありませんが、「客」のプロです。

ですので、語る資格はあります。

「客」については、本当は「プロ」ではありませんが。。 真の意味での「客のプロ」つまり最近「グルメ評論家」的な肩書きをお持ちの方々。。 だけが飲食店を語る資格がある、というわけではないでしょう。

そんな時代になってしまったら、今のマスコミのように御用記事ばかりになってしまいます。

いや、これは本題ではありませんでした。。


学生の頃はまだよかったのです。たとえば飲食店のバイトに入った最初に、包丁扱いがヘタで「オマエできないの?」「学生サンだから。。」と罵られても、仕方ないような気がしていました。「自分は人生経験が足りないのだろうか」と謙虚に反省をしていたりしました。

まあ、自分は適応力はあるので、最初に「できないの?」といわれたことは最後にはきっちりできるようにはなっていました。意地もありますし。。

自分を罵った人よりは、センスがありました。センスのある人は、初心者を罵ったりはしないものです。


ですが今は、そのような謙虚な気持ちは微塵も持っていませんので、「だからナンなの」と反論したくなります。

その根拠は、自分は、納税しているからです。

しかも自分はサラリーマンではないですし、それなりの額を納めているはずです。

納税とそれと関係あるのかというと。。 あると思うのです。なぜあるのか、を探りたいといいますか。

税金をおさめることにより、自分は、世の中全体が「健康で文化的な最低限の生活」を送るために少しでも貢献している、と信じています。

納税により「結果」は出しているということです。

苦しい思いをして働いて結果としてお金を得て、ただでさえ裕福とはいえないのにその給料から常に一定額がこの国、あるいは自治体に自動的に振り込まれ、それがこの国、自治体のインフラの改善などに使われている(はず)のです。

さらに、街で買い物をすればさらに、ほぼ自動的に5%を納税するはめになり。。

子供の頃の話に戻りますが、勉強ができることについてデフォルト扱いにされ、優れていないところ(スポーツや、美術など)ばかり指摘されたのと同じように、
納税している(働いている)ことをデフォルト扱いにされて、いいオトナになっているのにあれができない、これができない、料理をしない、家でぐうたらしている、休日はゴルフばかりで家庭サービスをしない、etc。。 と指摘されてはたまりません、ということです。

なぜ、最も重要なところで結果を出しているのに自分の欠陥を指摘されて不愉快な気分にさせられなければいけないのか、と、強く思います。

子供の本分は勉強で、オトナの本分は働くこと(すなわち、納税)ではなかったですか?

ということは、それさえ達成できればとりあえず「人として」及第点はいただけるのではないですか?

この「世の中」は、汗水たらして働いている人たちの基盤の上に成り立っている、ということが忘れられていませんか?

世の中のおとうさんたち、そう思いませんか? と鼓舞したくなってくるのです。