風邪ひきはじめ chimayo
本来の日記部分
買ったまま渋谷の某店に預かってもらっていたchimayoのジャンパーを、引き取ってきました。すごく嬉しいです。これが自分に開運をもたらすような気がしてならないのですが。
それにしても高かった。。
chimayoとは、同じではないけど、こういう服です。写真は色違いですが。
実物はなんといいますか、「魂のレベルが高い」ような気がして、ココロに響きます。(だから、大枚はたいて買ってしまいました)
- 体調
風邪ひきはじめです。(次に続く)
- 仕事
仕事でヤマのような「Todo」を朝から夜まで着々とこなし、夜からやっと「上」に頼まれていた資料のブラッシュアップに着手し(明日が納期)、もう深夜に差しかかろうとした頃に納得のいくものが完成し、「上」に見せにいったら「いーじゃん!」といわれ、嬉々として家に帰ってきたのですが、あまりに今までのプレッシャーから解放されてホッとしたのか、風邪に「侵入され」ました。
風邪に対してスキをみせてしまいましたね。。
ひとヤマ越えただけで、まだまだやることはある。
再録
- 小ネタ
- 我慢が効く
ある程度、我慢がきく人間でホントによかったと思います。
たとえば、特に春や秋に多いですが、外を歩いていて、ビルに入っては上着を脱ぎ、ビルを出ては上着を着て、とせわしくしている人をみると、面倒くさそうだなあ、と思ってしまいます。
そういう人たちはおそらく、体感温度の変化に敏感で、耐えられないのだと思います。
自分は、体感温度よりも、上着を手に持って歩くことがわずらわしいので、脱いだり着たりは滅多にしません。コートは別です。
(そういえば、シャツやトレーナーを腰に巻きつける人たちもいますが。。)
これは「我慢がきく」というよりは「鈍感」。。
でも、たとえ「鈍感」であっても、自分はそれでよかったなあ、と思います。ただでさえ考えることが多い世の中で、さらに体感部分が「敏感」だったら、耐えられないような気がします。。
鈍感なのは体感部分だけで、思考のほうは敏感なので、バランスはとれています。
我慢のキャパが小さい、というのは、本当に問題だと思うのです。「思い込み」ができないといいますか。。
我慢がきかない、というのは戦前戦中世代が我々世代に苦言を呈していたことです。それを今我々が若い世代に対して感じるのですから、これはすごいこと(よっぽど)です。
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- 褒められないとやらない
モチベーションを与えられないと動かない、という受け身体質には、一定の理解を示しつつも常に違和感はあります。
「受け身体質」は会社シリーズにも関連しますが。。
褒められればやる、けど褒められなければやらない、あるいは、ノッてこない、というのは本当におかしい、というか、マズいと思います。
なぜならば、すべて自分の人生だからです。自分の人生を受動的にしたら後悔しか残らないのではないか、というのは、この私ですら、若い自分から気付いていましたから。。
実践するかどうか、よりも、この「気付き」は大事で、自分は早い段階で気付いて本当によかったと思っています。
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- まず現実逃避から
この現実から逃避したい、という発言に対して。。
これも、一定の理解を示したいところなのですが、現実としっかりと対峙してみた結果として言ってほしいものです。
自分は、昔から現実と向き合う「クセ」がついているので、本当によかったと思っています。このクセがついたのはおそらく大学の頃で、大学時代が本当にヒマだったという証でもあります。。
現実逃避を思ったり実際に逃避の真似事をしてみたところで、事態は悪化するだけです。「現実問題」を片付けてすっきりしてから遠くにいけばよろしい。
なぜ、まず途中で投げ出すことを前提に物事を考えはじめるのかが理解不能なのですが、自分の人生であっても誰かがケツを拭いてくれる(キタナい表現ですみません)という前提で物事を進めるのでふつうの考え方になっているのでしょうか。
現実から逃げ出したとして、そのツケがまわってきて苦労する人に対しては何も考えないのでしょうか。「あとよろしく」で本当によいのでしょうか。
これらはすべて反面教師ということで、自分としてはこのようにならなければよい、ということなのでそれを実践してゆければよいのかな、と思います。