元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

トウキョウ・リテラシー

本来の日記部分

以前、仕事とかすべてがイヤで逃げ出した職場に、出戻ることになりました。以前とは違う部署なのですが同じフロアで、逃げ出したときの上司とかが、フロアの遠くにいます。

最初は、そこの職場でのイヤの思い出を払拭しようと気丈に働いていて、前の部署は無視していたのですが、あるとき前の上司がやってきて「以前のことは水に流すし、誰も以前の経緯は知らないと思うからまた頑張ってくれ」みたいなことを小声で話していました。
その話し方は優しい感じで、イヤミな感じではなかったのが救いでした。

その上司が離れていったらなぜか自席にビールが!(缶ビール2本) 自分はビールを飲みながら仕事していたのか!と慌てて(もちろん、飲んだ記憶はない)、誰も気付かないすきに給湯室にいってビールの残りを捨て、空き缶も捨てました。

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • 「ココロ」の節制(20080111)

ミチクサ(散歩、都市論etc)

  • 東京の歩き方

確か山形浩生さんが自著で書かれていたことですが、「読み書きソロバン」の知識、中学卒業レベルの知識だけでこの世の中を生きてゆくのは、コワくて仕方がないんじゃないか、という問題提起ですね。
この「コワい」のニュアンスは「メディア・リテラシー」寄りだと思うのですが、私は、これを応用してひとつの仮説を立てることができます。

それは、この「東京」を生き抜くのに、東京についてのある程度の知識がなければ、「コワくて仕方がない」のではないか?と。
その「知識」とは、もちろん地理であったり、カルい歴史であったり。。
もちろんそういうカタっくるしい「勉強」的なものだけでなくて、やはり「情報」ですね、たとえば路線図であったり、店、百貨店の場所であったり、おいしい店の情報であったり。。

私のように東京に憧れて出てきたり、あるいは短期・長期滞在したり、あるいは郊外から東京へ通勤したり、と、東京への関わり方はさまざまでしょうが、少なくとも地理的な知識(プラスアルファ)がないと、ここで生きてゆくのはコワくて仕方がないのではないでしょうか。

この「コワい」という感情は、本人は意識していないと思われますが。。

何もわからずに電車などで都心を移動し、まったく知らない土地のまったく知らない客のところに訪問するときなど、コワくないですか?

コワいというのは暴力に支配されるというところからくる恐怖感ともちょっと違いますね。
薄暗闇の中、やや深い霧の中を歩くような。。


外国であれば、最初から覚悟はできていますからよいのですが、地方の日本人が東京にくるときは油断してきますよね。で、東京に降り立ってみると、ヒトばっかりいて右も左もわからない。
文字はわかるし、おまわりさんは親切だし、いきなり銃撃されたりとかはないのだけれども。。

あまりにかすかな恐怖だからこそ、話題にもならないのかもしれませんね。


という意味において自分の「ミチクサ」は、役に立っているといいますか。。自分のミチクサに意味はあるんだろうか? なんて、考えてみたり(小沢健二風)しましたけど、ミチクサもまんざら捨てたもんじゃないな、と。。

自分は東京を、徒歩、自転車、電車、バスetcで縦横無尽に動き回るのが楽しくて仕方がありません。なぜ楽しいかというと根本の恐怖感が一切ないからです。「敵を知れば百戦危うからず」というわけですね。