読書とフィールド・ワークとのバランス
本来の日記部分
- 仕事
本日より新しい現場。行ったとたんに「私あと2週間で辞めますので、急いで引継ぎします」といわれ。。
なんだか怪しい雲行き。
まあでも引継ぎ者が消えた後でないだけまだよし、という考え方もできますが。
my格言・my座右の銘(自作自演)
- 徹底、連続、継続が肝要(20080107)
こうありたいまたは反面教師
- 読書とフィールド・ワーク
読書は確かに、ものすごく大事なのですが、それだけでは頭デッカチになってしまう、というのはよく言われることでして。。
たとえば地理や歴史だったら、読んで得る知識よりも大事なのはフィールド・ワークですよね。
理科系ももちろんそうです。
フィールド・ワークがいらなそうな文学系であっても、読解力をつけるにはふだんの生活、人間関係は大事なわけです。
フィールド・ワークせずに脳内で妄想を拡げてしまうオソロしさと、その結果(惨状)は、先達が証明してくれてるわけですが。。
ただし、「選ばれたヒト」たちだけは、あえて、まるでフォアグラのように脳を肥大化させ、妄想を極大化させてよいのです。それが結果的に、「国力」になってくれれば。。
ただし立候補による「選ばれたヒト」はキケンきわまりない。
そういうヒトたちが妄想を極大化させてゆくと、身内(親族およびイエスマン)とそれ以外、という妙な選民意識により反対派殲滅に走ったりしますからね。(新興宗教とか)
考えてみればその選民意識は単純きわまりないですよね。。
ところで。。実はこのようなコマカいことを考える必要はなくて、「労働」をしているヒトにとってその現場は十分に「フィールド」なのです。フリーターだろうがサラリーマンだろうが専業主婦だろうが、働いていれば十分、「フィールド・ワーク」はやっています。
そう、大事なのは頭と身体のバランスなのですね。
と、考えると、働くだけ、つまりフィールド・ワークだけ、というのもダメですね。。
比較できるのかわかりませんが、頭デッカチと、フィールド・ワークのみの人材ってどちらが「まだマシ」なんだろうか。
ところで、どちらでもヒトに優しければそれでよいのではないかとは思いますけれども。
再録
思いますのは、テレビ汚染をなんとか食い止めるために、年寄りはまだまだ働かなければならないと思うのです。パートでもなんでもいいのです。いえ、おカネが発生しなくともよいのですね。農業のまねごととか、よいかもしれません。
マジメに働いていればテレビの向こう側で起こっているできごとはあまり気にならなくなり、自分の欲しい情報だけピックアップできるようになります。
とにかく、年寄りをテレビから引き離さなければ! 「国力」が減退してしまいます。
テレビやマスコミが庶民の叡知を吸い取ってしまって国力を減退させているという事実は、ヒニクですね。。