元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

小銭入れが重いのは不快

本来の日記部分

  • 体調

「休暇疲れ」が。。休暇で逆に疲れるとはどういうことだろうか。。

それでは、「休息」はいつとればいいのでしょうか。

  • 仕事

冬休み終了。明日より新しい現場で心機一転、といきたいところですが、気分は重い。

ただでさえ長期休暇明けは憂鬱なのに、今回は、休暇明けから新しい現場ですからね。。

また、「コミュニケーション・オーバヘッド」が。。
つまり、現場をうつるたびに新しい人間関係を構築するところが特に憂鬱。
関係性がやっとスムーズになってきたあたりではい、さよなら、そしてまた新しい現場、の繰り返しですから。。

自分について

  • 目的と手段のたとえ

私は、578円の買い物のときにぱっと1133円出せます。これでお釣りは555円です。受け取る枚数が少なくなり、小銭入れが軽くなります。
常に500円、50円、5円玉ゲットを狙っています。

自分は、小銭入れがジャラジャラと重いのがとても不愉快なので、それを回避するという「目的」のために「手段」を磨いてきました。この場合の手段とは、出す枚数よりも必ず釣銭として受け取る枚数を少なくするということ、そしてそれを徹底するということです。

それはよく飲み会のネタにしていますが、80%ぐらい「それってセコくない?」という反応が返ってきます。15%ぐらいは賛同してくれますが、私ぐらい徹底しているヒトには出会っていません。

確固たる目的の実現のための手段の精査、そしてそれを磨くこと、は何ら悪いことではありません。
事の大小ではありません。小さい事柄でも常に「目的と手段」の関係性と目的の実現について考えていれば、大きな事柄(ビジネスなど)でもすぐ応用が効きます。

なかば滑稽にすらうつるかもしれない「徹底」を、小馬鹿にするヒトには進歩がありません。
何かを決めたら徹底、連続、継続が肝要です。