元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「超然」となるために

死、あるいは宗教に近い話

  • 坊さんは「信仰」しているのだろうか?

お年寄りの坊さんとかを見ていると、完全に超然としているわけですが、あの状態に到達するために実は宗教を「利用」しているのではないかという仮説を立てています。

つまり彼らは、自身が悟りを開くために「宗教思想」を利用しているのであって熱狂的に「信仰」しているわけではない、ということ。

坊さんだからといってただ盲目的に「信仰」しているとは限らないのでは? と。
その証拠、といいますか、達観した坊さんほど、俯瞰的に「仏教」を観ているように思えます。「一点信仰型」のヒトたちには俯瞰はできないのではないか。


そして彼らは実は、この現代社会においてはもはや、制度的に宗教にのめりこむことはできないのではないのだろうか、と。

いわゆる「帰依」の状態というのは、「信仰」とは異なるのでしょうか。専門的な知識がないのでうまいこといえないのですが。。


仮説にすぎないので、実際にインタビューしてみないとわかりませんが、この現代社会を現在進行形で生き抜いているお坊さんというのは今、どういう心境にいるのか?
悟っているのか? 悟っていないのか?
などなど、ぜひ聞いてみたいものです。

人生観、のような、思想の話

  • 【重要】「超然」となるために

仮説のつづきですが、
仮に坊さんが、寺院という「守られた」エリアで宗教思想や宗教学を勉強したり、瞑想したり、といったいわゆる「宗教的儀式」を経て初めて、客観的にみて「超然」の状態になれるのだとすると、市井の我々が超然といられるためにはどうしたらいいか、という根本のハナシに戻ってしまいます。

「戻ってしまいます」といっても、それはきわめて個人的なことであって(他のヒトには関係のないこと)、私はこのあたりで常に堂々巡りしています。


私が宗教という包括的概念に興味をもったとっかかりはそこなのです。「超然」といられるためにはどうすればいいのか、という方法論を探りたい。

「超然」は、別に「悟り」というかたちをとっていなくとも、かまわないのです。


そして、ここ数ヶ月の間に、この件については、亀の歩みで論を進めています。

まず、自分は、「超然」状態になるための方法論としてお坊さんと同じ手法はとりたくない、ということ。
カンタンにいえば「プチ修行」とか「プチ座禅」とか、ああいう方向に向かうヒトたちがキライなのです。
かといって、自分には生活もあり、扶養家族もいるわけですから、夏目漱石の小説のごとく「仏門」に入るわけにもいきません。
(某芸能人のように、在野で得度するという手法も、どうも納得いきません)

家族を捨てて仏門に入る気など毛頭ないですしね。。

つまり、市井のままで「超然」状態になるためにはどうすればいいのか、という問いに、いつの間にかシフトしていったのです。


それに対して現在、実はいくつかの解が出つつあります。あまり宗教自体とは関係なくなってきているのですが。。

ひとつは、「衣食住が足りていることに常に感謝する」ということ。
もうひとつは、関連しますが、常に「衣食住が足りている」状態をキープすること。これは、それ以上にもそれ以下にもならない、ということです。
日課を続けるというのはほとんどここに該当しますね。掃除洗濯、家事の類ですね。これらは、衣食住のキープのために行われるものです。

あとは、「早起きすること」。これは、早起きするという行為のみならず、その周辺の生活にも関連します。たとえば、夜更かしをしない生活をする、というのが該当しますね。
テレビを見ない、マスコミに関与しない、というのも、うまく説明できませんが自分の中ではここに含めています。

それともうひとつが。。 これは「おそらくそうだろう」と思っているのですが、「天職を見つけて、毎日朝から夕方まで働くこと」だと思いますね。
毎日というのは、ホントウに毎日です。いわゆる「休暇」は、学生のように、夏、冬、春などにまとめて10日間ぐらいずつ取得して、残りの1年330日ぐらいはずっと働く。とにかく働く。

これについては以前書き出していました。


天職というのは、その労働の時間、質に応じた報酬がもらえなければなりません。
ですから、年に330日ぐらいがーっと働いたら相当額になってもらう必要があります。

金銭的充足も「超然」にはゼッタイに必要な要素なのです。


それと、「滅私」というのは「超然」にとって必須な考え方ではあるのですが、
これは、項目として挙げるという要素ではなくて、包括的、根本的な思想ではないかと、思っています。

たとえば、カネを稼いだらそれはガツガツと自分がいただくのではなくて、ほぼすべて家族や近しいヒトたちに還元する、とか。そういうのはもう、アタリマエのこととして。