元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

腹を割って話すのは自然じゃない 言説の重みは

自分について

  • 「何か悪いかよ」

世の中のいろいろなモノ、コトに対して「何か悪いかよ」と言えるようになってきたと思いますね。やっと。。自信のあらわれなのでしょうか。

前にも書きましたが、なぜ自信を持っているかというと、自分は、世の中に対して「何ら悪いことはしていない」からです。
それ(自信の根拠)は、何かに卓越した技術を持っているとかメディアで脚光を浴びているとかチヤホヤされるとか、そういうものでは全くない。そういった「わかりやすい」根拠ではない。

「ふつうに」税金を納め、コドモを育て。。ということを、続けている、ということです。

でもそれは、実は「ふつうに」考えてもムズカしいことであり、「何ら悪いことはしていない」という気持ちをもってもバチはあたらないでしょう。

税金を納めてコドモを育てる、というのは、実は「ふつう」ではないのです。特に最近、それらを「やりたくないから、しないもん」とあからさまにいえる勢力が登場してからは。
我々が優位性を誇示しても何ら問題はないでしょう。税金を納めるというのは国、自治体の維持に一役買っているということであり、コドモを育てるということは、右翼的にいえば「国力」を育てているということです。

これらを、「あたりまえ」とは思ってほしくはない。(特に、お役人、政治家には肝に銘じていただきたいものです)


特に、私にとっては、「ふつうに」税金を納めてコドモを育てる、という、そういう生活をするために自分のレベルを上げること、そこに至るまで苦難の連続でしたので。
世の中には、「ふつうに」、ナチュラルにふつうのことをできる方も大勢いますが、自分は決してそうではなかった。仮に他人からは「ふつうに」やっていると思われているのだとしても。。

ロクに納税もせず、コドモも育てず、自分のためだけに生きているヒトたちと一緒にしてほしくないですし、そういうヒトたちの言説と私のそれとでは重みが違う、と確信しています。

だからこそ、「何か悪いかよ」といえるのです。


まあでもチヤホヤはされたいですけどね。。(ホンネ)私個人が、ということではなくて、今必死になって子育て最中の我々世代全体が、世の中からチヤホヤされてもいいと思います。




  • 腹を割って話すのは自然じゃない(【重要】)

他人に、自身の生活あるいは悩みについてグチったり、シチュエーションによっては「告白」めいたことをする、というのはゼッタイに「自然」じゃないのです。
「ヒトに打ち明けてすっきりしたがり」なだけ。それはきわめて現代的行動というか。。

カタルシスを得るための行為、つまり、快楽を得るための行為なのです。だから、麻薬と似ているわけでしょう?

自身で、自分自身のことを「消化」する能力が、ムカシと比べて現代人は劇的に低下してきたのです。それは「能力」なのですよ。

黙して語らないのが本来の人間の姿です。


だいぶ前に、すでに、トレンディドラマのような生活が「自然」じゃない、というのは、皆気付いたではないですか。

告白するとか、他人と腹を割って話すとか、そういうことは、相当「ドラマ的」な行為で、まったく「自然」ではありません。

いや、「ドラマ的」ではないですね。「青春的」なのです。
まさに「青春ドラマ」というカテゴリがムカシ、ありましたが。。

いいオトナが「青春的」行為をすることは「自然」ではありません。

確かに私は、「いいオトナが」いつまで経っても「青春ごっこ」をやっている図はキラいですね。。「少年のココロを持って」云々という言説と同じぐらい、キライです。

なるほど、そういうことか。。(自分の違和感の根拠に納得)


そんなにまでして自分の人生を「劇的」に仕立てたいのか? と、思ってしまうわけですね、こちらは。