元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

下層について

ミチクサ(散歩、都市論etc)

  • 「下層」について

書こう書こうと思いながらサボっていた「下層」について、正面きって書き出してみようかと思っています。

私は、極論すれば、「おカネさえ手に入ればよい」という考え方です。
この考え方により、他人よりスサんでいるとは思いませんし、これは、様々な思想の寄り道をして辿りついた結果でもあります。
身体を張って仕事しているのですから、それに見合った対価をもらいたいですし、将来、身体を張れなくなって働けなくなることを考えると、老後の分も見合った対価をもらいたい。
そして、扶養家族の分の対価までももらいたい。とにかく、どんどんもらいたい。もらえるものは。労働に見合ってなくともハッタリであっても全然かまいません。

「おカネさえ手に入ればよい」というのは決して自己中心的ではありません。自分がアソぶおカネが欲しい、とはほとんど思いません。ただし、自分の肉体的精神的メンテナンス分はゼッタイに必要なので、それは「天引き」のようなものです。その「天引き」が、たまに、「アソび」ととられることがありますが。。

メンテナンスはのぞいて、そのおカネは、必要なのです。自分の老後、家族、家族の老後、親類、親類の老後のために。

将来の保障もなく、身体を張って働いていると、自分が背負っている扶養家族の現在とそして未来までも裸一貫で養えるはずがないではないか、と、絶望的な気分になってきます。

でも、やるしかないのです。なぜなら、自分は「サラリーマン」になれない(に違いない)と確信しているわけですから。。 この道を進むしかないのです。

サラリーマンというのは「ホワイト・カラー」と置き換えてもいいかもしれません。


と、いうハナシのマクラをもとに。。


私が考える「下層」というのは必ずしも年収、生活水準に比例しません。
ホワイトカラーであろうがそうでなかろうが、関係ありません。

ムカシから、たとえば旋盤工はサラリーマンなんかよりずっと良いカネになる、といわれてきました。
ですが、なぜか、その言い方にはトゲがある、というか、差別的な意味あいが含まれてきたように思います。

端的にいえば「カネの亡者が!」的な。。

今よりもずっと、「身分」というものが重要視されていた時代です。
「サラリーマン」とは中流のキーワードであり、「旋盤工」は下層の象徴です。

ムカシは、今ほど拝金主義が進んでいませんでしたので、そういう差別的発言をするヒトたちのココロの中には、これっぽっちも嫉妬羨望はなかったのであろう、と推測します。

儲かるけれど下層社会に下野するか、つつましい生活だけど「中流」を維持するか、という選択であれば、瞬殺で後者が選ばれた時代。

そういうときに、「カレらは、今は儲かっているかもしれないけれど将来的な安定性が云々」というのは、ずっと「中流」のエクスキューズとして使われてきました。

これが、今の時代になると、どうでしょうか。今は前者でしょう。

なぜそうなってきたか、というと、世の中がホントウに平等になってきたからですね。
ムカシの中流が、ゼッタイに下野しようとしなかったのは、かつては身分格差が明確にあって(もちろん、戦後ですよ)、下野したらものすごい誹謗中傷の圧力があったからです。
それこそ「カネの亡者が!」的な。。

そして旋盤工(このコトバは比喩として使っています)の「技術」を認める時代になってきています。


少し前に流行った「下層社会」の定義は、純粋に収入格差を意味していますね。
つまり、「儲かる下層社会」というのは絶滅しようとしているのです。

なぜ絶滅するかといえば。。
それは、世の中が豊かになってきて、最低生活費が増大しているからですね。
言い方を変えれば、マスコミの「アオり」によって、現代日本人が「最低レベル」と感じる生活水準が不当に(異常に?)上がってきている。

ムカシ、旋盤工が儲かるといったところで、たかが知れていたのだと思います。今の社会に換算すれば月35万〜40万ぐらい(ボーナスなし)で「儲かる」といっていたのでしょう。それぐらいの月収があれば、かつての「旧き良き時代」には、羽振りよさそうにふるまうことができた。

でも今、それでは、「儲かる」とはいえないでしょう? 中流の生活を維持するのにいっぱいいっぱいです。
今の時代、儲かるブルーワーカーの象徴としての「旋盤工」に当たるのは「佐○の運転手」になるのでしょうかね。羽振りがいい、という話をちらほら聞きますし。。


「儲かる」とまでいかない、ふつうのブルーワーカーの給与水準というのは、変わっていないのです。つまり、その時代の金銭価値(その時代の「ラーメン1杯何円」「コーヒー1杯何円」)に対してぴたっと比例してきているはずです。
それは、今の時代でいえば、25万前後でしょう。
それぐらいの月収で、「旧き良き時代」の日本人は、家族4人、5人ぐらいで、つつましく生きていた(生きてゆけた)。

今の時代、家族4人、25万/月(ボーナスなし)で、生きていけますか? いえ、「満足感を感じながら」生きてゆけますか?
はっきりいってムリでしょうね。毎日テレビを見ていれば、特に。
飢えはしないでしょうが。


「ふつうの」家庭が、(なぜか)持たなければいけない、と思わされている物品が、多すぎるのですね。多すぎるから、それらを収納するスペースも必要になり、良くも悪くも家の間取りも広くなり、収納のため「家がほしい」となってくる。

「ふつうの」ヒトが今、結構な値段をするいろいろな物品を持っていますよね。パソコン、ケータイ、ipod、ゲーム、ワイドテレビ、etc。。

ムカシであれば中流の上ぐらいの階層が手にいれることが出来るモノを、今は誰もが根こそぎ手にいれることができる。
ムカシの「中流の上」はそれらをブラックホールのように飲み込むことができる家、土地を持っていましたが、今は階層に見合った住居を手にいれることができない。
手にいれようとするとやけに郊外にいくことになり。。


時間切れ。。 なんだかタイピングしながら書きたいことがわんさか出てきたので、続きます。