元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「原罪」についての考え方 コスモポリタニズム

本来の日記部分

  • 仕事

どうも話し合いがかみ合わず。。今日も現場に出ず。といっても行く現場すらない、宙ぶらりんの状況。
フリーって、条件とかカネの話ばかりですね。それを自分でやらなければならない。いや、それは重々知っているのですが。。
自分を「安く売らない」とカタく決めているから、話がなかなか決まらないことがある。
でも、今までそうやって何とか切り抜けてきましたし、自分を安売りしないというのをプレッシャーにして自分を高めてきたつもりなのです。待ってりゃ誰かが自分を育ててくれるわけではないですからね。。
仕事は基本、盗むもの。

ミチクサ(散歩、都市論etc)

  • コスモポリタニズム

抜粋については後述しますが。。
『若いあいだに海外旅行などして国際的なものの見かたをして、そういう意味ではいかにもコスモポリタン的な感覚を身につけていても、私生活の面では、たとえば、結婚ということになると、平気で親がかりになる。そういう若い人が実に単純なマイホーム主義でしょう。』

ホント、これが私の「言いたいこと」ですね。
この、ウチとソトの使い分けにハラが立っているのです。「海外で見聞を広め〜」と「マイホーム」がなぜ共存できるのか? 結局どちらもハンパになるだけなのではないのか? と。

だから、「海外旅行」という概念そのものがクサっているのではないか、というのが自分の持論になりつつあるわけですね。

人生観、のような、思想の話

  • 日本人がどれだけ幸せか、というのと「原罪」についての考え方について

このお題について真剣に考えてみたいのですが、今日はおそらく時間はない。。
ですから、「さわり」だけを。

現代の日本人は、ちょっとした不満を見つけてくることに異常に執念を燃やす、というか、その術に長けてきているように思えます。
なぜだか知りませんが、常に不満をとっかえひっかえしている。にも関わらず、切実に不満を感じない人生をのぞむ。。

この現実を、不満と感じる、ということは、現代の日本人がどれほど恵まれているのか、ということからは頑なに目を背けていたいのだと理解しています。


でも、それが極端に振れて、我々が高度資本主義社会の恩恵を享受していることを「原罪」と感じてしまって、やけに、いわゆるムカシの「発展途上国」に遠慮してしまって、世界的な人道支援をやらなきゃ気がすまない、というところまで考えてしまうヒトもいます。


どちらも極端な例なので、そのおとしどころを考えてゆければいいのですが。。
たぶん続きます。。

こうありたいまたは反面教師

  • 現実逃避

ホントに、人生というのは現実逃避してる時間は、皆無だと思うんですよね。

なぜ逃げるのか? と自分は思うんですが、「なぜ現実逃避を許容しないのか?」といわれることがあります。

それを言われてしまったら「じゃあ勝手にしてください」なのですが。。
現実逃避を許容するのであれば、アナタの人生は「ぱっとしない」ままで終わりますよ、と、捨て台詞は残したい。
それでいいのであれば、いいのです。でも、ずーっとですよ、ずーっと。死ぬまで。

現実逃避グセがついてしまったら、何か、ほんの少しだけキツい状況でもすぐ逃げ込んでしまうのです。
そうすると、どうなるか。それは、「機会」を損失するのですよ。アナタが、心地よい「穴グラ」にもぐりこんでいる間に。
しつこいようですが、それでいいのであれば、いいのです。私はホントウに知ったことではないのです。

ですが、現実逃避を拒否する私の姿勢に対して、否定したり、嫉妬羨望を起こしたりしてほしくないですね、金輪際。
「やっぱり間違ってました」もナシですよ。

互いに互いを、放っておきましょうよ、ということです。別な人種として。



抜粋・紹介

思想とは何だろうか (鶴見俊輔座談)

思想とは何だろうか (鶴見俊輔座談)

丸山(眞男):(略)インターナショナリズムと言ってもいいけれど、これはなんといってもナショナリズムののちに出てきたものですからね。だからわたしは、「人生いたるところ青山あり」というコスモポリタニズムが出てこなきゃ、「ウチ」的ナショナリズムでないナショナリズムは日本に根づかないと思う。
鶴見(俊輔):占領下に育った人たちのなかに、皮膚感覚でそういうものを身につけた人たちが出てきてますね。
丸山:わたしもそう思います。しかし、実際はなかなかたいへんでしょうね。たとえば、若いあいだに海外旅行などして国際的なものの見かたをして、そういう意味ではいかにもコスモポリタン的な感覚を身につけていても、私生活の面では、たとえば、結婚ということになると、平気で親がかりになる。そういう若い人が実に単純なマイホーム主義でしょう。マイホーム主義というのは、これはね、『万葉集』とともに古いんだなあ。ちっともそれと切れてない。(略)可愛いかあちゃんと二人だけの閉塞的な天地をつくっちゃえば、あとはベトナムもヘッタクレもあるかって考えは、太古からあるんだなあ(笑)。われ一人じゃないんで、二人でなくちゃいけない。(略)
鶴見:そのマイホーム主義が(略)ウチとソトという分けかたの原型になるんですね。
丸山:原型になる。無限に細分化されますからね。会社でいえば、ウチの会社になるし、会社のなかでは、またウチの課になって、これは相似三角形みたいなもんで、いちばん小さいのがマイホーム。だから、滅私奉公対マイホーム主義と対立するように言うけれど、実ははじめから二つは並存してるんです。
(略)これからは急速に変わっていかざるをえないでしょうね。わたしは、そういう意味で開国、開国というんです。だけど、いわゆる開国というのは、海外交流といった空間的開国ばかりで、精神的開国というのはなかなかむずかしいと思う。自分の精神のなかに、自分と異質的な原理を設定して、それと不断に会話する。鶴見さんなんか、ファナティックなところがある反面(笑)、それがあるので感心するんですが、対話対話っていうけれど、一般には少ないですね、自己内対話というのは。その代わりに一枚岩の精神がお互いにケンカしている。

(抜粋・紹介おわり)

自分が言いたいことのうちのふたつを集約してくれているような。。
『自分の精神のなかに、自分と異質的な原理を設定して、それと不断に会話する。』『対話対話っていうけれど、一般には少ないですね、自己内対話というのは。』ホント、少なすぎです。