元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

Avantiやめた 夏目漱石考 日用品がキレる

本来の日記部分

結局、最近シラけてしまい、TOKYO-FMの"Avanti"を聴くのをやめてしまいました。
麻布十番祭りまで続いた、番組を利用したカクテルブック、スタンセレクションのCDの宣伝が、すごく鼻につきましたので。

今までAvantiはこんなことはなかった。ディレクターが変ったのでしょうか? それとも、止むに止まれず商業主義に走らなければならない事情があったのでしょうか?

しかも、確信犯的に、教授(登場人物)に言い逃れを劇中で言わせていますからね。(以下、おぼろげな記憶)
「スタン、カクテルブックやCDを続けざまに出したり、これではムカシからの常連に『Avantiは軽薄になった』などといわれかねませんよ〜」
「いやいや。。」(スタン)

こんなやりとりが、1〜2ヶ月前に確かにありました。(正確なところは忘れました)

こういうセリフを言わせているということは、この番組のディレクターがこう思っているということは確かなわけです。『Avantiは軽薄になった』と思われるだろうな、と。
そして、「それでもいいんだ」という思いも感じられます。

アナタがたがそれでもいいんだったら、離れましょう、と。

同じように感じたヒト(そして、聴くのをやめたヒト)も多いでしょうね。。
軽く10年は聴き続けていた番組なので、残念です。

でも、これからも、「常にココロに取手豪州」は続けていきます。


シラけたといえば、少し前から録画用HDDレコーダーの調子がよくないようで、毎週予約していた番組がとれなくなってしまいました。

とれなくなった第一週目はちょっとショック&立腹だったのですが、それ以降はもうシラけてしまい、逆にせいせいしている次第です。

土日に時間をとって、まとめて録画したものをばーっと見ていたのですが、その、まとめて時間をとる必要がなくなりました。
見なくなると、それはそれで全く気にならなくなってしまいますね。

テレビとは良いお付き合いをしている、と以前から書いていますが、ホントに訣別するためのきっかけになってくれるかもしれません。

この出来事も、「大局」という大きな流れの中にあるように思います。


でもまあ、おそらく訣別はできず、アナログに還ってゆくような気がしますね。
アナログに還るとはつまり、録画せずに、その時間にチャンネルを合わせてみる、ということです。
ということは自然、仕事などの時間に放映している番組はみなくなります。

見逃したとしても、それがたまってゆくことはありません。

テレビに対して、このように、ムカシに還っていっているヒトも、増えているのでしょうね。

糸井重里さんとプールにいる。彼は実は水泳が得意、という設定。
彼はとりあえずプールに飛び込んだが、そこは、飛び込んだ下は深いのだがそこからすぐに浅くなる飛び込み専用のプールのようだった。
(あくまで夢のハナシです)

自分について

  • 日用品が「キレる」

たとえ少しの間であっても、生活必需品(シャンプーリンスとか洗剤とか、お米やパンなど、常に常備する食品、マヨネーズはドレッシング、etc)が切れる状態というのが、大キライです。

その瞬間だけ、がくんと生活レベルが下がるような気がします。
そして、もうくつろいでいる夜に、それが発覚して急遽つっかけでコンビニに行かなければならなくなったときなど。。 もう、憤怒していますね。
そういう行動そのものが、レベルの低い生活だと思っています。
(コンビニだと定価で買わないといけなくて、高いですし)

これだけ豊かな生活をしているのに、なぜ日用品がないのか?(瞬間的であっても)
なぜ、嗜好品は切らさないクセに日用品は切らすのか? と自分にハラが立ちます。


と、思っていたのですが、けっこう、逆のヒトが多いようですね。
自分の趣味の品はふんだんにあって、ゴミの山のようになっているが、常に日用品は切らしている、といったような。コンビニで買えるのに、日用品のほうはいつも忘れてしまう、とか。

それってものすごくレベルが低い生活だと思います。そういう生活をするのは勝手ですが、そのヒトが通奏低音としてある「日常の不満足感」を常に持っているのであれば、それが原因のひとつだということには気付いてほしいものです。

真に豊かな生活の第一歩は、嗜好品、趣味の品を自由に買える状況ではなくて、常に日用品が「切れない」状態だと考えますね。

抜粋・紹介

和辻哲郎随筆集 (岩波文庫)

和辻哲郎随筆集 (岩波文庫)

夏目漱石)先生は「人間」を愛した。しかし不正なるもの不純なるものに対しては毫も仮借する所がなかった。その意味で先生の愛には「私」がなかった。私はここに先生の人格の重心があるのではないかと思う。
(略)先生にとっては「正しくあること」は「愛すること」よりも重いのである。(略)すなわち先生の考えでは、いかなる愛をもってしても不正を許すことは「私」なのである。たとえ自分の愛子であろうとも、不正を行った点については、最も憎んでいる人間と何の択ぶ所もない。自分の最も愛するものであるがゆえに不正を許すのは、畢竟イゴイズムである。
先生は自分の子供に対しても偏愛を非常に恐れた。(略)そうしてこの心がけがやがて人生全体に対して公平無私であろうとする先生の努力となって現れた。

先生が偏屈な奇行家として世間から認められているのは、右のような努力の結果である。ひいき眼なしに正直に言って、先生ほど常識に富んだ人間通はめったにいない。また先生ほど人間になすべき当然の行ないを尋常に行っていた人もまれである。ただ先生はその情熱のために、信ずる所をまげる事ができなかった。(略)それが卑屈と妥協と中途半端とに慣れた世間の眼に珍しく見えたままである。
しかし常識的という事が道義的鈍感を意味するならば、先生は常識的ではなかった。先生はいかなる場合にも第一義のものをごまかして通ることができなかった。たとえ世間が普通の事と認めていようとも、とにかく虚偽や虚礼である以上は、先生はひどくそれをきらった。先生の重んずるのはただ道徳的心情である。形式習慣にむやみと反抗するのではなく、ただ道徳的心情よりいでてのみ動こうとしたのである。これを奇行と呼び偏屈と嘲るのは、世間の道義的水準の低さを思わせるばかりで、世間の名誉にはならない。(略)

(略)徳義的脊骨のあるものには四周からうるさい事、苦しい事が集まって来る。先生はそのために絶えず癇癪を起こさなければならなかった。しかも先生はその敏感と情熱とのため、さらに内からその苦しみを強くしなければならなかった。先生の禅情はこの痛苦の対策として現れた傾向である。
先生の超脱への要求は(非人情への努力は)、痛苦の過多に苦しむ者のみが解し得る心持ちである。我々は非人情を呼ぶ声の裏にあふれ過ぎる人情のある事を忘れてはならない。(略)
超脱の要求は現実よりの逃避ではなくて現実の征服を目ざしている。現実の外に夢を築こうとするのではなくて現実の底に徹する力強いたじろがない態度を獲得しようとするのである。先生の人格が昇って行く道はここにあった。公正の情熱によって「私」を去ろうとする努力の傍らには、超脱の要求によって「天」に即こうとする熱望があるのであった。

先生の諧謔はこの超脱の要求と結びつけて考えねばならぬ。もともと先生の気質には諧謔的な傾向が(江戸ッ児らしく)存在していたかもしれない。しかし先生は諧謔をもってすべてを片付けようとする人ではなかった。諧謔の裏には絶えず厭世的な暗い中心の厳粛がひそんでいた。先生が単に好謔家として世間に通用しているのは、たまたま世間の不理解を現わすに過ぎないのである。


先生の厭世的な気分は恋愛を取り扱う態度に十分現われている。しかしそれがさらに明らかに現われているのは生死の問題についてである。ここに先生自身の超脱への道があったように思う。
元来先生は軽々しく解決や徹底や統一を説く者に対して反感を持っていた。人生の事はそう容易に片づくものではない。頭では片づくだろうが、事実は片づかない。―しかしこれは片づける事自身に対する反感ではなくて、人生の矛盾は撞着をあまりに手軽に考えることに対する反感である。先生は望ましくない種々の事実のどうにもできない根強さを見た。そうしてそのために苦しみもがいた後、厭世的な「あきらめ」に達した。顧みて口先ばかり景気のいい徹底家の言葉に注意を向けると、思わずその内容の空虚を感じないではいられないのである。
けれども「あきらめ」に達したゆえをもって先生は人生の矛盾不調和から眼をそむけたわけではなかった。先生はますます執拗にその矛盾不調和を凝視しなければならなかった。寂しく悲しく苦しかったに相違ない。(たとえ種々の点でいわゆる徹底家よりも「あきらめ」に沈んだ先生のほうがはるかに徹底していたとはいえ)
それゆえ先生は「生」を謳歌しなかった。生きている事はいたし方のない事実である。望ましいことでも望むべき事でもない。ただしかし生きている以上は本能的な生への執着がある。しなければならない事、則らなければならない法則もある。それは苦しいかもしれあい。苦しくてもやむを得ない。―そもそも生きる事が苦しむことなのである。生きている以上は種々の日常の不快事を(他人の不正や自分自身の不完全や好ましくない運命やを)避けることができぬ。むしろそれらの不快事が生きている事の証拠である。人生とはもともとかくのごときものにほかならなかった。
しかし先生は「死」を「生」よりも尊しとしながらも「死」を謳歌しなかった。死もまたいたし方のない「事実」として存在する。それは瞑想する自分には望ましい事実ではあるが、本能的には恐ろしい。強いて死を求めるのは不自然である。けれども死が人間の運命だという事は人間の不幸ではない。従って死んでもいいし死ななくてもいい、生きていてもいいし、生きていなくてもいい。
このような生死に対する無頓着が先生のはいって行こうとした世界であった。先生はそこに到着するまでの種々の心持ちを製作の内に現わしている。(略)『心』において極度まで押しつめられた生死の問題は、右の無頓着が著しくなるにつれて、一種透徹な趣を帯びながら、静かに心の底に沈んだ。『硝子戸の中』がその消息を語っている。


(略)漱石の死後十年のころに、ベルリンで夏目純一君に逢ったときである。(略)この純一君と話しているうちに、漱石の話がたびたび出たが、純一君は漱石を癇癪持ちの気ちがいじみた男としてしか記憶していなかった。いくら私が、そうではない、漱石は良識に富んだ、穏やかな、円熟した紳士であったと説明しても、純一君は承知しなかった。(略)それで私ははっと気づいたのである。十歳にならない子供に、創作家たる父親の癇癪の起こるわけがわかるはずはない。創作家でなくとも父親は、しばしば子供に折檻を加える。(略)創作家の場合には、精神的疲労のために、そういう折檻が癇癪の爆発の形で現われやすいであろう。しかしその欠点は母親が適当に補うことができる。純一君の場合には、母親がこの緩和につとめないで、むしろ父親の癇癪に対する反感を煽ったのではなかろうか。(略)そうだとすれば、漱石夫妻のいざこざが、こういう形に残ったとも言えるのである。

(抜粋・紹介終わり)

座右の銘には長すぎますが。。ココロの中にとどめておきたい文章です。

再録・継続

  • 身の丈にあった(20070407)

「セルフコントロール」とは、身の丈にあった生活をキープする、ということなんですよ。身の程をわきまえよ、と、まさにそのコトバに尽きるわけです。

「身の丈」が伸びるのは、お金を直接の触媒にして、ではないのです。お金は間接的なものです。

人は皆、身の丈を伸ばそうと努力するところに「生きがい」とかを感じるわけですが、その手法は一律であるはずはないのです。でも、一定の法則のようなものはあるのです。

今求められているのは「自発的に」身の丈にあった生活をすること、ではないでしょうか。