元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

必要悪としてのシューキョウ

my格言

久々の格言。

  • 勉強とは継続、継続とは勉強。(20070918)

死、あるいは宗教に近い話

  • 必要悪

昨日の、「なぜ、多くの市井の人間にとって、「思想」と「宗教」がアヘンになってしまうのか?」というコトバが、自分で書き出しておいて少しひっかかります。。

庶民には宗教は必要です。「宗教」というコトバにアレルギーがあるのであれば、「信仰」ですね。
それは、今のこの日本、つまり、高度資本主義社会だからこそ、「信仰」が必要である、ということ。

「カネ」以外のよりどころとして。


新興シューキョウは、必要悪です。庶民の大部分は安きに流れるわけですから、その受け皿として新興シューキョウは機能していますし、これからもそうでしょう。(残念ながら)

アサハラショーコウというヒトの現実離れした風貌と、預言者的な「何か」にインテリ層が一発でまいってしまい、結果、あんなにハズかしい格好をして富士の樹海のふもとにとじこもって殺人兵器を製造してしまったように。。
庶民というのはなぜ、現実離れした「預言者」とか、そういうものに一発でヤられてしまうのでしょうか。。


腹立たしいのは、「悟りをひらいた」「啓示があった」というのが、100%自己申告である、というあたりですね。
偽教祖様は「自分だけが選ばれた人間です(オマエじゃなく)」といってるんですよ。腹立たしくありませんか?
相手は「施しを与えてあげよう」といってるわけです。さらに、その対価としてカネをよこせ、と。

私だったら、憤慨しますけどね。。現世に実際生きているか、あるいは、たかだか100年200年前に生きていた偽教祖様にそんなエラソーな態度をとられたら。。
しかも、現世で選民意識をもてないがために、自己申告で「啓示があった」といっているようなヒトですよ?

それだったら、頑張ってこの現代社会で上場企業の社長になるようなヒトのほうがよっぽど信仰の対象になりませんか?
(私は、ベンチャー企業などでひと山当てたヒトよりも、こつこつと組織内を駆け上がって大企業の社長になるようなヒトを尊敬します)


結論:偽教祖様は、選ばれた人間ではなく、始まりはすべて自己申告。

再録・継続

  • 生活をアソビに(20070407)

自分が実践しているのは、「生活をアソビに」ということです。とはいっても毎日アソんでるわけではないのですが。。 昨日のストレスコントロールの話の続きで、ストレス解消のための「イベント」をわざわざ切り出さずに、日常に埋め込む、ということです。

ですが、日常にアソビを入れてしまいたくない、イベントはイベントで切り出したい、という勢力が多勢なので、自分とは話があわないわけです。「日常をアソビにしちゃったら海外旅行とかにいけないじゃん!」みたいな。。

現代人は定期的に旅行に行くことが当然、というマスコミ洗脳済の考えをお持ちの方々。。

ところで、「地域」に溶け込むというのは、めったに旅行にはいかないということだと思うのです。先ほど書いた「地域の目を復活させよう」というのは要はムカシの生活に戻りましょうということをいっています。そして、ムカシの人たちはめったなことでは海外旅行にはいけなかったはずです。国内旅行もです。

自分は、ホンキである程度そういう生活に戻ろうとしているわけです。「地域の目を復活させよう」としているけど海外旅行にはいきたい(海外旅行というのはたとえですが、今の生活レベルを維持したいということです)、と考えている人のほうがよっぽど不純なわけです。