元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

過程至上主義

  • 過程至上主義

「頑張ったのですが」「結局できませんでした。」っていうのは。。

何がフザけてるかって、最近結果至上主義が薄れてきているから、頑張ったことに対してだけ胸を張る人間が多いのです。

結果を出して初めて、その過程も「ホメてもらえる」のですよ。
結果を出さなければその過程は「無」です。

周囲にとっては無でも、自分にとって無にしたくないのであれば、自分で自分をホメてあげればいいではないですか。自分で自分をどうしようと、周りは知ったことではないです。

結果は出なかったけど「でもよく頑張ったね」というのは、子供に対する接し方でしょう? なぜそれをオトナに適用しなければならなくなってきたのか。。
なぜ世の中全体が、どこかしらホメてやらないと動かなくなってしまったのか。。

それこそ「甘ったれのオトナ」が激増してきた証左ではありませんか。

「甘ったれのオトナ」というよりは「甘やかされたオトナ」。

ホメまくられるというのは、甘やかされるのと同じです。

過程至上主義というのは、とにかく、行為のどこかをホメてほしいという、それだけ。


とにかく、結果が重視されない。これからもどんどん、結果が重視されなくなっていったら、実際結果を出しているヒトたちはバカらしくて高飛びしてしまうでしょう。

高飛びしないまでも、「世の中」にはコミットしなくなるでしょう。ハゲしく節税するのは間違いないでしょうね。。
自分の税金を、「過程至上主義」の世の中にムダに使ってほしくないですからね。
税金は、結果を出している人間に対して優先的に配分されるべきです。