オタク議論以上
人生観、のような、思想の話
- 学者と坊さん
我々庶民と、学者、そして坊さんは、「分業」ですよね?
つまり、学者は、庶民と坊さんの代わりに学問を深く追求し、坊さんは学者と庶民の代わりに修行を続け、庶民は学者と坊さんを養うために市井で働く、と。
だから、学者は庶民に叡知を、坊さんは庶民に「安らぎ」を与えてほしいと思うのです。
この基本に立ち返りたい。庶民はなんでもかんでも吸収できません。時間もないのです。
真の「三位一体」というか。。(ホントは「三」ではないかもしれませんが)
この「三位」のどこからゆる〜くなってくる、つまり、努力を怠ると、すべてがゆるくなってきます。それが今の状態。
なんだか「勝手にしやがれ」の「密告者は密告し、保守主義者は保守し、愛人たちは愛し合う」を思い出しましたが。。ちょっと違いますかね。
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- オタク議論以上
井筒俊彦の対談とか読んでいますと。。
もう「知識」的には満タンのヒト同士が対話したときに生まれる、単なる「これ知ってる? あれ知ってる?」のレベルを超えた、なんというか、議論の発展形というか。。
憧れますね。
私は、そういうハナシをしたいのでしょうね。
そして、オタク同士の議論と何が違うのかといえば、現代人にはモロ「教養」「たしなみ」が足りない。。 残念ながら。
それは仕方ないのかもしれないけど。ホントに仕方ないのか?とも考えてしまいます。
「世代間」の話
- ニュース
横浜で、オモチャの拳銃か何かを見せびらかしていた高校生を酔っ払った警察官が注意したとか殴ったとか。。そういうニュースを聞いて考えますのは、
「親はなくとも子は育つ」というのは未だに、完全に通用するハナシです。
ですが、親が「ハンパにいる」という状況が、いけないのだろうなあ、と。
「ハンパにいる」よりはいっそのこといないほうがいいわけですね。これははっきりしていることなのでしょう。
これは、親がコドモと「トモダチのように」接しているのが元凶だと確信していますが、違いますか?
外国の真似をしているのであれば、外国のようにその家庭だけにキリスト教倫理観を持ち込まないとダメですよ。その家に、親以上の「神」を設定しなければ、親とコドモは「トモダチのように」接してはいけないのです。ゼッタイに。(【重要】マーク)
先生と生徒の関係もそう。
河合隼雄先生の発言の中で、思春期ぐらいになるとコドモには近所のオジサン的な親以外の理解者、半保護者が必要である、とありました。これですよね。
なんか、よくわからない、親の「あれしちゃだめ、これしちゃだめ」と正反対のことを言うようなオジサン。。
いいですね、こういうヒトを目指したいものです。
再録・継続
- 肯定(20070403)
自分の人生をね、肯定しなければならない、と。。
常に強く、考えているような気がしますね。
そのための筋書きとか、結末とかを考えて。。今まで携わってきたいろんなヒトに対して、「どうだ、オレの人生は間違っていなかっただろう」と。
と、いうことは、自分の人生に対して相当な疑問はもっていた、ということなんでしょう。
もう自分の人生は完全に後半戦ですが、自分の行動を客観的にながめると、ここ(今)で帳尻を合わせてきた感がありますね。
(再録終わり)