元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

 独り飲み 散歩のイメージ

本来の日記部分

仕事を早く切り上げ、久々に、夕方、明るいうちからの独り飲み。仕事も家事も忘れ、ほろ酔いで幸せな気分。
でも、ほろ酔いでそのまま帰宅するわけにはいきません。買い物をして帰らないといけないのです。重い荷物を抱えながら、興ざめします。
そして、帰宅して現実に引き戻され、鬱。

でも、明るいうちから飲めば帰宅も早くなって、いいですね。
早起きして15〜16時ぐらいから飲みはじめることができる生活。これが目標。

  • 体調

独り飲みでちょっとペース速過ぎで。。


抜粋・紹介

禅と日本文化 (岩波新書)

禅と日本文化 (岩波新書)

多様性のなかに超越的な孤絶性-日本の文化的用語辞典では、わびと読んでいるもの-をわれわれは鑑賞するのである。わびの真意は「貧困」、すなわち消極的にいえば「時流の社会のうちに、またそれと一緒に、おらぬ」ということである。貧しいということ、すなわち世間的な事物-富・力・名に頼っていないこと、しかも、その人の心中には、なにか時代や社会的地位を超えた、最高の価値をもつものの存在を感じること-これがわびを本質的に組成するものである。日常生活の言葉でいえば、わびはソローの丸太小屋にも似たわずか二、三畳の小屋に起臥して、裏の畠から摘んだ疏菜の一皿で満足することであり、静かな春の雨の粛々たるに耳を傾けることでもある。(略)事実、「貧困」の信仰、おそらくは日本のような国には極めてふさわしい道である。近代西欧の贅沢品や生活の慰安物がわが国を侵すようになっても、なお、わび道に対するわれわれの憧憬の念には根絶し難いものがある。知的生活の場合でも、観念の豊富化を求めないし、また、派手でもったいぶった思想の配列は哲学体系のたてかたも求めない。神秘的な「自然」の思索に心を安んじて静居し、そして環境全体と同化して、それで満足することのほうが、われわれ、少なくともわれわれのうちのある人々にとって、心ゆくまで楽しい事柄なのである。
(抜粋おわり)
【重要】マーク
孤絶性=aloneness
貧困=poverty

この文章は、今の自分の心持をパーフェクトにあらわしてくれています。

本は、当たりますね。。 本とのめぐり合いの良さは我ながら才能かもしれない。。(自画自賛

「知的生活の場合でも、観念の豊富化を求めない」っていうのは、すごいです。

活動・活動に関して(散歩、都市論etc)

すごく大事なことを、まさに思いつこうとしているような気がするんですが。。

  • イメージ

道を歩いたイメージは、それぞれの行動は完全に忘れてしまっているにせよ、重層的に、イメージとしては重なっているような気がします。

たとえばenyaの多重ヴォーカル録音を聞いている感じ。。

Watermark

Watermark

しかも、パラレルに。

この感覚は、自転車やクルマで走っていると起こり得ない。


その道を、初めて通った日からもう何十回、何百回と同じ景色をみていると、それは何というか。。景色が「分厚く」なってくるといいますか。。

そのときそのときの「想い出」とともに。

特に、帰り道なんかはそうですが、楽しい気分のときもあるし滅入っているときもあります。そして、特に何もない、無感情のときもあります。ですが、景色は毎日、ほぼ同じ。
それを繰り返していると経験、記憶が「重層的」になってくる。バームクーヘンのように脳に蓄積されていく。1枚1枚は、はがさないと表面は見えない。でも、脳だから、はがす術を知らない。

道は、独りのときもあるし誰かと一緒のときもある。忘れたい人と一緒のときもあった。強烈な出来事が起こったときもある。酔っ払っているときもある。泣いているときは。。たぶんないけど。

すべて、【重要】マークのような気が。