元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

会社組織における「義務を遂行しない」人種

本来の日記部分

  • 仕事

イマイチですね。。
昨日書いたとおりです。

現状を考えると数日は休むことになるでしょう。

人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • 「カタにはまる」

先日読んだ、ドラゴン桜2巻の「カタにはまる」云々のコトバが今マイブームです。

カタにはめる必要のない、つまり、カタにはめるとそのヒトのためにならないというスケールの大きな人間というのはごく一部に限られているのに、全員が、基本方針として「カタにはまらない」教育を受けてしまったら。。

ぞっとしますが、日本の未来は高い確率でそうなってゆきます。

ですが、日本で生きて、ノーマルな「社会生活」を営んでいれば、自然、カタにははまってゆきます。良くも悪くも。それが「社会」というものです。

社会に出る前の間違った(歪んだ)思想教育も、社会に出ることによって自然と浄化、矯正することも可能です。

ただし、それには本人の強い意志が必要なのです。まずは変わろうと思わなければダメです。

あるいは、歪んだ思想教育により間違ったプライドが醸成された結果として、「ノーマルな『社会生活』」すら拒んでしまったら、もうどこまでもダメでしょうね。
(そういう若者が増えているのが、私や私の上の世代が、未来を憂う原因なのです)

何度も書いていますが、「社会生活」の基本は義務の遂行です。
義務の遂行はある程度カタにはまった形式でやらなければなりません。

義務を継続して遂行するためにはそこに喜びを見出さなければなりません。そうしなければ続けることができません。

「自分はこういうものである」と頑なに規定してしまい、その殻を破ろうとしないような、柔軟性のないヒトにはそれはできません。

義務を遂行しないヒトは、義務を遂行するヒトたちが養うことになります。直接的であれ間接的であれ。
義務を遂行するヒトたちが、「自分とその周りだけで精一杯」「馬鹿馬鹿しい」と、怠惰な「義務を遂行しないヒト」を社会の中で養うことを拒否したら、どうなるのでしょうか?

いや、明確に拒否しなければならないでしょうね。
拒否しても、餓死はしませんし、「社会福祉」がギリギリのところで救済してくれるでしょう。

それこそ"non of my business"になってゆくことでしょう。

つまり、未来は、義務を遂行しない人種と、その反動できっちり遂行する人種とに二分されてゆき、後者は前者を支援するのではなく、前者に冷たい目を向けて支援を拒否することになります。(【重要】マーク)

なぜなら、前者は、後者の支援に対して感謝の意を示さず、かつ、タカりにかかる性質をもっているからです。

よって、前者の支援は自治体などが「高飛車に」行うことになります。

自分が死んでからどうなるかはわかりませんが、少なくともあと数十年は、日本はこの傾向が強まってゆきます。
今は世の中(東京しか知りませんが)がそういう「流れ」になっていることを感じます。

ですから「前者」が無用なプライドを維持せずに、自分の立場を自覚して、態度を変えてゆけばいいわけです。
ヒトは「感謝」により容易に動きますよ。「おカネじゃない」というのはそういうところです。

会社シリーズ

  • 働くヒト/サボるヒト ?

このトピックの流れで「会社シリーズ」になってゆきますが、
現在、義務を遂行する人種としない人種が混在してヒドいことになってきているのが「会社組織」というヤツです。

この日記を書き始めてからずっと、「企業、会社組織というのは、オカしくなってきている」という思いでいろいろ書き出してきました。
その理由はこの理屈を援用すれば、ある程度はすっきりします。

義務を遂行する人種/しない人種というのは、個人的見地からいいますと、「働くヒト/サボるヒト」とはちょっとニュアンスが異なるような気がしています。

「尻拭いするヒト/ある程度働くけど結果を出さないヒト」 という感じでしょうか。

後者は、ただ単に仕事が空回りしていることもあります。でもそれは、自己責任です。
前者は、結果も出しつつ、後者の尻拭いをすることになります。ということは、前者と後者の給料が同じだったら(あるいは、同じ給与体系の中にいたら)前者が馬鹿らしくなってくるのは当然です。
なぜなら、「尻拭い」というのは査定では見えないところだからです。カネに換算できないのです。

カネに換算されなくとも、ほうっておけば自分の仕事に火がついてしまってとんでもないことになってしまうので、他人の仕事であっても「防火」あるいは「消化」せざるを得ません。後者は、自分のお尻についた火を自分で消すことができないのです。
また、自分のお尻に火がくすぶっていることを、指摘されるまで気付かないのです。熱さに鈍感なんですね。
(【重要】マーク)

組織においては後者がデフォルトになってきているのです。そして、後者本人の「気付き」がなければいつまで経っても後者のままです。
後者は、前者の大変さを見ているために、管理職に昇進するなどのトリガがなければ後者から脱皮しようとはしません。

ムカシは、就職するということは少なくとも「前者」たろう、と考えているということでした。(つまり、「会社に貢献しよう」と考え、行動する、ということです)

最近景気がよく、雇用が増加しているという話ですが、「後者」ばかり増やしても企業はどうしようもないのです。つまり、どんどん「後者」を入れて「前者」に教育を押し付けると、前者もパンクしてしまって(あるいは、いなくなって)、会社組織そのものがたちゆかなくなってくる、ということです。