元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

散歩は誰も儲からない 環境問題の話に対する違和感

再録・継続

  • 環境問題の話に対する違和感
    • 20061216

「地球環境に優しく」とか、壮大な考えのもと、ペットボトルやら牛乳パックやらなんやらをリサイクルに出すために、自分の家に膨大にためこんでいる人がいます。こまめに出せば事足りるのに、なぜかなかなか出さない。。

自分は、自分の周りにちらかしておくぐらいだったら、いっそのことリサイクル品もゴミにまぜて定期的に捨ててしまったほうがいい、という考えです。

こういう人たちは自分が壮大な「地球環境保護」に加担しているというプライドを持っているので(「洗脳」といってもよいでしょう)、厄介です。

考え方が真っ向から対峙してしまいそうなので、あまりお近づきにはなりたくありません。

(再録おわり)

水道橋博士の日記に紹介されていたこの本、まだ読んでいないのですが。。

環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks)

環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks)

自分が、「環境問題」という考え方に対して感じる違和感を、スカっと言い表してくれているに違いありません。

たとえば、ペットボトルを回収しても意味がないとか、問題なのはペットボトルを作る側と飲む我々のほうなんだからドリンクの消費を減らすべきだ、とか。(そういうことが書いてあるらしい)
ぜひこの本を読んで「溜飲を下げたい」ですね。

ものすごく重要なのは、自分をもっと信じるべき、ということ。つまり、自分が違和感を感じるモノ、コトは100%おかしい、ということです。(【重要】マーク)

活動・活動に関して(散歩、都市論etc)

  • 散歩は誰も儲からない

以前に、「(旅行だけでなく)散歩でも見聞は広められる」みたいなことを書きました

旅行もとてもいいものですが、散歩はもっといいものです。(と、私は信じています)

でも、散歩は、その行動を起こすことにより、誰も儲かりません。
せいぜい、往復の電車賃(数百円)とか、途中でお茶を飲んだり、とか。。
散歩では「経済」は動きません。

その点で、旅行とは決定的に違うのです。
旅行は、旅行会社、飛行機、電車(長距離)、自動車、旅館/ホテル、観光地の飲食店など、さまざまなヒトたちが潤う可能性を持っています。

だから、莫大な宣伝費用をかけて、一般庶民を「旅にいざなう」のです。
これを仕掛けているのは「マスコミ」そのものです。もしかしたら、「政治」も絡んでいるのでしょう。

いろんな業界、土地にカネを落としてほしいから、宣伝するのです。
その「いろんな業界」が完全に結託して、一般庶民の財布からカネを巻き上げようと、必死なんですよ。

仮に、口コミか何かで散歩の効用(および、「旅行の害」)が広がり、全国的に爆発的な散歩ブームになったとして、旅行に行く人間が激減したら、日本経済は傾いてしまうかもしれません。
(私は、その状態こそ健全な社会だと思いますが。。)

でも、そんな状況には100%なり得ません。
メディアは今もこれからもずっと、大広告主に遠慮して偏向記事しか伝えられないでしょうし、口コミというものが、ますます強大になっている「マスコミ」を凌駕することはゼッタイにありません。


自分は、旅行という行為は、それほどコストパフォーマンスがよいとは思っていません。
結局旅行って数万円以上しませんか? それって高くないですか?
「趣味はカネじゃない」といいきれますか? 旅行というのはホントウに「おカネで買えない価値」を持っていますか?

往復1000円の交通費で近場の海でなごんできた場合と、10万円で沖縄に行った場合と、コスト的に、沖縄は100倍楽しめるのでしょうか?
ゼッタイに、100倍はないと思う。

沖縄という名前に酔い、大したきれいでもない海をきれいと思い込み、何とかして払ったカネ分の楽しみを享受しよう、と必死になるだけです。
元をとろう、と必死になっている旅行って、楽しいでしょうか?

ただし、遠くに行きたいというのが人間の根源的欲求に近いものであるというのは、わかります。

資本主義社会は、それを安価で可能にしました。なぜなら、その欲求を実現させることが経済の発展にとっても、最重要に近い課題だったからです。

だからこそ、ここまでインフラは整備されました。

安価だから、手軽になったから行きたい。というのも、とてもよくわかるのです。

でも、自分が感じている違和感は払拭できません。遠くに行くだけで数万円、というのは今でも納得いかないのです。
自分は毎年毎年、帰省をするので、そのたびに往復数万円が飛んでいく実感があります。
まあ、帰省というのは「義務」なので、割り切るしかないのですが。。


その、庶民から巻き上げたカネ(「旅行代金」)って、めぐりめぐって、インフラ整備に使った莫大なカネの回収に流れていってしまってないですか?
本来税金を投入すべきところに。


はっきりいいますが、自分よりおカネを自由に使えないはずのヒトたちが、ばんばん海外旅行に行ったりします。十万単位のカネをぱーっと使って。

これが、どう考えても異常な事態なのではないかと、常に違和感を感じているのです。

旅行する、という選択は、ただ単にマスコミに流されているだけでしょう? と。
あなたのホントウにやりたいことは、ばんばんカネ使って旅行に行くことなんですか? と。
そのカネをもっと、あなたのホントウにやりたいことのために残しておいたほうがいいのではないですか? と。

旅行は、中毒性を持つものです。一度味をしめてしまうとまた行きたくなります。結果、年に一回ぐらい旅行にいかざるを得なくなります。
中毒になってしまって、旅行のためにお金を稼ぐような状態に陥ります。

そのような状態って、幸せなんでしょうか? それを幸せと感じるヒトが増えているような気がして仕方がないのですが。。 「熱中している状態」に近いニュアンスで。

それはカネのかかる趣味の奴隷にすぎないでしょう? 

そしてほとんどの場合、そういう旅行は、単なる自己満足の旅行ですよ。
家族旅行ですらないのです。


それと、旅行って、満足感と同じレベルで「疲労」も蓄積すると思うのですが。。 皆、ハイになって気付かないだけで。

サザエさんネタで、旅行から帰ってきたときにまず「あーやっぱり家がいちばん」と言ってしまう、という話がありましたね。
あれは、真実でしょう。
旅行で、「遠くに行く」という欲求が満たされ、その代償として疲労が蓄積して、とんとんといったところでしょう。


まあ結局、なんやかんやいっても、行動はそのヒトの自由です。
私は、もはや「それ」に気付いてしまったので、旅行という「マスコミにカネを消費させられる行為」に疑問を持たざるを得ません。

だから、この日記にずーっと書いているとおり、放っておいてほしいんです。旅行好きなヒトに個人的に論戦を挑んだりはしないので、逆に、「遠出しないで人生楽しいの?」みたいなカチンとくる問いを私にふっかけないでほしいわけです。ふっかけられたら本気で応戦しないといけないような気分になってしまうので。。 疲れます。

数年前のあのインパクトのあったCM「モノより、思い出」に皆、なびいてしまったような気がしてなりません。モノより思い出なんて、大ウソですよ。



折衷案で、オトナになっても、なるべくカネを遣わない「貧乏旅行」がいいですね。
貧乏旅行ならいつでも行ってみたいです。