元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

レジャーを楽しむ 年金問題

本来の日記部分

  • 体調

ほんの少し風邪の症状が。。
喉の渇き、に似た若干の痛みと、鼻水に粘り気が出てきている。

なぜだろう? 様子見ですね。




人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • レジャーを楽しむために。。

基本的に、「日常」で満足できる耐性をつくっておかないと、「レジャー」(すなわち「非日常」のたとえ)も本当に楽しめない。非日常であるべき「レジャー」が真の非日常になってゆかない、といいますか。
つまり、費用対効果が出ないのです。(【重要】マーク)

これは、僭越ながら、昨今の世相に対する私からの警告です。

日常に満足できずにレジャーに「逃避」したところで、そのときだけの「一瞬の快楽」で終わってしまいます。
現実のマイナス査定が、一瞬、そのときだけ針がふれてチャラになるだけです。明日になればまたマイナスの人生が待っています。

なんだか、投資と似ているような気がしてきました。。

日常での「収支」をとんとんかわずかであってもプラスにしておけば、「レジャー効果」により、プラスの好循環が始まるのです。これは「複利効果」と同じことです。
生き方がうまい人は、「レジャー」を効率的に「カードを切る」ことにより、人生が倍々ゲームで、満足感が飛躍的に向上してゆきます。
そして自分は、そのようになりたいと考えています。

投資に携わったことがある方であれば、このニュアンスはわかっていただけると思います。
投資にゼッタイ必要なのは、余裕を持った資金繰りです。マイナスから始めてはいけないのです。なぜなら、最初からせっぱつまった状態になってしまうからです。
マイナスの状態で始めて最初少しのマイナスが出てしまったら、テンパってしまって正常な思考ができなくなります。

脱線。
この日記では、結局「これに気付けよ」と言い続けているのだと思います。
思い込みでもいいから、日常の慢性的な不満足感を払拭することに全力を上げなさい、と。
日常の不満足感から脱する根本手段は、「レジャー」ではないのです。上に書いたとおりです。

日常を受け入れて、淡々と過ごすことができるようになって始めて、というか「そこから始まる」のです。

自分について

また、ヒマだったんでテレビをザッピングしてしまったところ、「年金不信」などというおどろおどろしいタイトルの特集をやっており。。 見てしまった。。

この番組は結局は社会保険庁は無能だいう批判をしていましたが、この番組に対するかすかな違和感を感じたのは。。
なんというか、「そんなの知ってるよ」といいますか。

公務員というのは一般的に、高飛車だけれどもビジネスマンとしてのレベルはそれほど高くはない、というのは、大前提としなければなりませんよね。

年金問題(年金納入額のカウント間違い)でいえば、コンピュータに計算を任せる以前は、四則演算すらあのヒトたちはできなかった、ということでしょう? しょせんそのぐらいのレベルなんですよ。
それは極端な物言いですが、何十年も続く年金納入の記録管理ができない。これはつまり、引継ぎが甘いということでしょう。引継ぎが甘いという事実からは、何となくですが部門間の「派閥争い」的なニオイも透けてみえますが。。

それと、システムへの不適応。システムへの不適応は、なんとなくわかりますね。「キカイごときに。。」というプライドがジャマするのでしょう。時代の流れに順応できないヒトたち。。 が、あの、霞ヶ関という組合に守られた「砦」の中に、クサるほどいるのでしょう。

個人個人は大卒で、カシコいのかもしれませんが、集団となるとレベルダウンするという。。
ツブれそうな会社と同じですね。

組合に守られた仕事のしかたをしていると、ビジネスマンとして伸びないということなんです。
ほとんどのサラリーマンは会社に入って成長するんですよ。人間的成長も含め。

公務員は、就職した時点である程度「あがり」ですから、そこからビジネスマンとして伸びる確率は、民間の会社員より「きわめて」低いのです。
だから、組織としては何十年も停滞しているでしょう? 公務員の世界だけ社会主義の香ばしいニオイがただよっているのです。機会平等でなく結果平等。事なかれ主義。etc。


あー、テレビのおかげでまた思考に余計なノイズが入ってしまいました。
じゃあザッピングなんかするな、というハナシですが。。 ヒマなとき、ザッピングさせてしまうのがテレビが「怪物」であるゆえんなのです。