元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

昔のコラム(イトイ新聞) 「暴走族」的な風俗

本来の日記部分

  • 体調

睡眠不足

  • 仕事

ちょっと、クレーム。受けたのではなくてクレームを入れました。
「話が違うでしょう」的な。。

ストレスがだいぶ蓄積されてきました。。

活動・活動に関して(散歩、都市論etc)

  • 「暴走族」的な風俗

昨日書いた、バイクの騒音がうるさくて目が覚めた、という件で、何かココロの片隅にひっかかるものがあり、こうしてまた書き出している次第です。。

いわゆる「暴走族」的な風俗というか、そういう夜中の騒音もそうですが、激減していますね。
以前土井隆義氏の本を読んで、そこにも書いていましたが、ぱっと見、いかにも不良というファッションの子は激減している。
東京都心では特にそう思います これが、中央区(の下町)とか江東区とかになると、散見されますね。

そういう風俗の変化に伴い、なんというか「猟奇的」というか、若い世代のそういう事件が増加しているというのは、印象としては間違ってはいないでしょう。
統計的にはどうかわかりません。前述した土井氏の本においては、統計上は否定的でした。

若い世代が、もう「なんだかよくわからない」存在になってきているわけですね。何をしでかすかわからない、みたいな。
「何をしでかすかわからない」ということは何かをしでかすということです。ムカシの子はほとんど何もしでかさなかったのではないですか。安心してみていられたというか。。
「ふつー」な子が親を殴り殺したりはしなかった。もし、あったのだとしても、天文学的に低い確率だった。

何かをしでかすかもしれないという前提なのであれば、オトナと同じような対処(罰)をとらなければならない、という昨今の趨勢は、正論なのでしょう。違和感はありつつも反論できません。

そして、早熟であるにも関わらず、いつまでたってもコドモ、というアンビバレンツな存在。。

ムカシの子は、早熟な子はマセていて、老成感すらただよっていたような気もしますが。。

ちょっと、話が拡散してきましたね。

抜粋・紹介

  • 末永徹さんの昔のコラム(イトイ新聞)
    • 第28回 国力と国民の幸福(2001/6/7)

フリーターに関する討論会などでは、きまって、
「フリーターは正社員と比べて
 まじめに働かないから困る」
という「現場からの声」が出る。
 
これは、おかしい。
バイト料に見合う分だけの役に立っていないなら、
クビを切ればいい。
そうしないのは、「出来は悪いけど、必要」だから。
バイト料に見合って、
何かしらの役には立っているからである。
 
組織で何かをやる時、
「あまり重要ではないが、必要な人手」というものがある。
「コピー取り」「お茶汲み」「パシリ」
などと呼ばれる類の人手。
そういう仕事は本質的に詰まらない。
「高い意識をもってやれ」
というのは、土台、無理な話だ。
 
企業は、かつて、そういう人手も正社員
(「新人」や「職場の花OL」)でまかなっていた。
それを、「クビを切りやすいように」
バイトに切り替えたのである。
 
まじめに働くかどうかは、
「その人の人間性と仕事のやりがい」
の問題で、バイトか正社員かという
雇用契約の形式」の問題ではないと思う。
「クビを切られやすいフリーターのほうが一生懸命働く」
ことだって、あるだろう。
 
まじめに働かない人の割合は、
たしかに、増えているかもしれない。
大学生の学力もずいぶん落ちているというし。
それもこれも、日本が豊かになったから。
昔の日本人のほうが勤勉だったとすれば、
それは、人間的に優れていたからではなく、
飢え死にするのが怖かったから、と僕は思う。
 
奢れるものは久しからず。
人類の歴史が始まって以来、すべての国が
「豊かになり、怠け者になり、没落する」ことを
繰り返してきた。
多分、日本は、これから、そのおきまりの道を辿る。
 
「蓄えを食い潰していく」という予感があるから、
子供を産まない。
これも、おきまり。
最盛期のベネチアでは、
なんと、成人男子の7、8割が独身だった、という。
今は小さな都市に過ぎないベネチアは、
かつて、ヨーロッパ最強の共和国だった。
 
「日本という国の力」を保つためには、
向上心に燃える貧しい移民を
大規模に受け入れるしかないだろう。
そうすれば、「怠け者のフリーター」は、
移民との競争に負けないように、
まじめに働かざるを得なくなる。
アメリカは、そうやって、盛者必衰の道を避けてきた。
 
でも、それで「日本」は栄えるが、
私たち「日本人」はちっとも幸福にはならない。
「日本が栄えること」と
「日本人が幸福に暮らすこと」は、
かつては、大体一致した。
これからは、むしろ、対立するのである。
 
構造改革をやって、移民を入れて、栄え続ける日本」と
「蓄えを楽しく食い潰しながら、衰えていく日本」と、
どっちがいいだろう?
 
「日本が衰えたら、日本人が貧しくなるのでは」と
心配する人がいるかもしれないが、そんなことはない。
ベネチアの人たちは、今でも、豊かでしょう? 
豊かさとは何か、という価値観にもよるが・・・。

(抜粋・紹介おわり)

あらためて、末永徹さんのコラムを読み返しています。日付をみると2001年頃のようで、この頃も読んでいたはずなのですが、ほとんど忘れています。
なぜ忘れているかといえば、経済の情報を受け入れるだけの下地がそのころの自分になかったからでしょう。

末永さんは、この頃はイトイ新聞以外のメディアにはほとんど露出していなかったと記憶しています。(今でも、実は何者なのかよく知りませんが。。)かつて外資のトレーダーだったころは年収一億円以上稼ぎ、この頃は蓄えだけで悠々自適に隠居していた、とか。。

イトイ新聞「鼠穴」の近くに住んでいる、イコールその頃の私の住処の近くに住んでいる
だったので、勝手に親近感を感じていました。(もちろん、会ったことすらありませんが)

この文章でもっとも気になったのは、
「人類の歴史が始まって以来、すべての国が
「豊かになり、怠け者になり、没落する」ことを
繰り返してきた。
多分、日本は、これから、そのおきまりの道を辿る。」
のくだり。はっとしました。

自分は、きわめて大げさにいえば、「怠け者になる」ことに反抗しようとしているんだな、ということ。

今、しゃかりきになって「規則正しい生活をしよう」とか「嗜好品を減らそう」とか「非日常ではなく日常を生きよう」とか言っているのはすべて、「怠け者になる」イコール、「怠惰になる」ことを拒もうとする動きなのでしょう。
「(精神的に)豊かな生活をしたい」という思いは、没落という状況に対する潜在的な恐怖からきているのだと考えます。(【重要】マーク)

そして、私と同じように、「怠け者になる」ことから逃れようという「気付き」を得ているヒトが大勢います。

つまりこれは、メインストリームに対する「トレンド」「うねり」なのですよ。

今日はひとつ、考えがすっきりしました。よかったです。