御観兵榎(活動) 同世代間連帯の件の再録(3)
本来の日記部分
- 体調
鼻水、痰あり。
- カレンダー(予定の記入というよりはほぼ日記)はこちら
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活動・活動に関して(散歩、都市論etc)
御観兵榎あたりの、都心レベルの鬱蒼とした感じは、良いですね。あそこに紛れ込むと、木の並びが白紙委任の森を思い出します。そう感じる方も多いのではないでしょうか。
なかなか奥深い連関があるかもしれません。
抜粋・紹介
Q. 斎藤一人さんは「不安や心配を解消するコツ」として、どのようなことを指摘されているでしょうか。
A.『不安や心配事を書き出してみること』です。そうすると、そのような心配事がほとんど実際には起きていないことが分かるといいます。
(抜粋・紹介おわり)
おそろしくシンプルかつ核心を突いている解決法。書いてあるとおりで、これで90%ぐらい解決しますね。
再録・継続
- 同世代間連帯の件の再録(3)
- 20061030[仲間について]
(略)
自分にとって語る相手が減ってきているのは事実で、それにはいろいろな理由がありますが、物理的に離れたから、というのは結構大きいでしょう。田舎->横浜、横浜->東京、と拠点を2回移していますので。(引越しの数はもっと多いですが)
人というのは離れれば疎遠になってゆくものです。最初は遠方でも会ったりしますが、、
ただ、拠点を移しているのは、自分にとってステップアップだと思っています。カッコよくいえばステップアップのために仲間を振り切った、とでもいいましょうか。。 違うような気がしますが。。
拠点を移すたびに孤独になってきているということでしょうか。しかし孤独を望んでいるフシもありますね。孤独になってきているから、拠点の移動は失敗か? といえば全くそのようなことはなく、仲間が減った減らないは、自分にとってほとんど大したことではありません。
たとえば「夢を実現する!」というストーリーは、概して孤独なものです。
そう、この話は矛盾から始まっているのです。そもそも自分は、大人になってからの「仲間意識」のようなものに相当違和感を感じています。「大人になってまで何をやってるんだか。。」と思ってしまいます。
そんな自分が「やっぱり仲間がほしいな」と言ってるのですから。
自分が望む仲間というのは、イメージは「個の連帯」です。そのイメージと学生の頃の青臭い仲間意識とは全く別なものです。
とここまで書いてきて、ふたつ想い出したことがあります。
自分が昔お世話になった方は、15歳ほど年上でしたが、互いによく語りました。サシのこともありましたが、媒介となるもう一人の方もいました。
このイメージが自分にとって「仲間」のイメージに近いような気はします。これはとても私的なもので、他人に対してイメージを具現化して伝えるのは難しいのですが。。
今の自分には、この方のような「器」はないな、と思います。今、15歳下の後輩とつるんで遊べるかといったら。。 絶対嫌ですね。その方は努力して、辛抱強く、若者(その頃の「私」)のほうへ降りてきて、話を合わせてくれていました。
ただ、その方も、私に対して「何か」を感じてくれたからこそ、15歳年下の若造と一緒に遊んでくれたのだと思います。それについては自分は誇ってもよいだろうと思うのです。
それともうひとつ、「受け手」という考え方です。
自分が欲しいと考えるは「仲間」ではなく、「受け手」なのかもしれません。
思い浮かぶのは、ビートたけしに対する高田文夫とか。。(@オールナイトニッポン)
「仲間」というと複数形ですが、別に複数である必要はないのです。
先ほどの昔話に関していえば、自分はそういえば、良き「受け手」だったような気がします。年上の方の「若造の意見を聞きたい」という要望に必死に応えようとしていたように思います。
ということは、自分も年をとり、受け手の側を卒業して新たに「受け手」を探しているということになりましょうか。それは別に若手でなくともよいのですが。
自分にとってよき「受け手」がいないと嘆くのは、傲慢なのでしょうか。そうではないと思いますが。。ただ単に「話し相手」が欲しいだけかもしれませんし。。
受け手が「減っている」という考え方は、受け手がいないと嘆くのとはまた違うような気がします。自分が変わり続ければ受け手は減ってゆくような気がします。自分は変わり続けようと思っているので受け手が減っているということは「変わっている」証拠ということになるのではないでしょうか。
つまりは「わかってくれる」人が欲しいということ? いや、そんなセンチメンタルな感情とは違うような気がしますね。
(再録おわり)