変わったのは自分だけじゃない あらためて「節制」の時代
本来の日記部分
- 体調
ちょっと肩がイタいのが不気味。
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抜粋・紹介
- 大切なものは目に見えない
そういえばサン=テグジュペリは「かんじんなことは、目には見えないんだよ」と言っていました。
- 作者: サン=テグジュペリ,Antoine de Saint‐Exup´ery,内藤濯
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2000/03/10
- メディア: ハードカバー
- 購入: 19人 クリック: 501回
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AKIRAでは、ミヤコ婆ぁが「遠くを見るとき人はどうする? 目を細めるじゃろう。・・・大局は目を開いていては見えはせぬ」「所詮流れの中におる者には理解はできぬ」と(記憶があいまいですが確かこのようなことを)、言っていました。(「ミヤコ婆ぁ」というのは視力を失っているキャラクターです)
- 作者: 大友克洋
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1987/07/01
- メディア: コミック
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このふたつのフレーズを、あらためて想い出すんですよね。。
大切なことはホントに目に見えないですし。(隠蔽されている、というのもあるのですが)
ここでまさか。。「じゃあ目をつぶってりゃいいのか」などという短絡的なツッコミをいれるヒトはいないと信じたいですが。。
寝ているときのほうが大局が見えたりするわけです。要は、目を見開いて見ようとしても、見えないものは見えない、ということですね。
人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師
- あらためて「節制」の時代
アメリカナイズも悪くないな、と思うのは。。 かの国では嫌煙運動がものすごく進んでいるし、デブ(あえてこのコトバを使わせていただきますよ)に対する風当たりも強いです。つまり、節制を奨励しているということです。
日本の、我々世代も節制する人たちばかりになってきたら、面白い。
面白いというのはつまり、戦後勤勉を放棄したがために諸々の成長が見込めなくなってしまったニッポンがV字回復で変わってゆくかもしれないということです。
今考えると戦後は一貫して「自堕落」の時代で、節制がトレンドになりつつあるのは初めてのことではないでしょうか。これも「豊かさ」の証左だとは思いますが。。
今の時代は、前回のバブルとは違って、節制したものだけが生き残れそうなバブルの到来を予感しているので、歓迎なのです。とにかく、面白そうなのですよ。「ついに自分たちの時代か〜」みたいなワクワク感があります。
ダイエットだの健康食品だの、そういうのは、人間というのは自堕落である、という前提での商品、ブームでしかありません。好きなもの食べても痩せられます、健康になれます、というのはそういうことです。節制できる人間にはそもそも必要ありません。ということでそのような前時代的な商品は駆逐され(ることをのぞみます。。)、新しい時代の消費が生まれてゆきそうです。節制している人間にだけものすごいドライブをかけるような商品。。 自堕落なヒトたちには何の意味もない商品。
節制できなかった我々庶民(いや、節制はできたはずなのに、戦後の大局の中でマスコミに洗脳され、「節制」ということを忘れてしまったヒトたち)は、売り手にバカにされ続けてきたのです。
自分について/会社シリーズ
- 「サラリーマンになることによるリスク」
自分にとってはサラリーマンになるということによりリスクが極大化するわけです。そういう考え方をしなければなりません。
今サラリーマンになることによるリスクは、「すぐにやめたくなる」であろうということです。
何度も書いたけど。。 サラリーマンには常になりたいわけです。潜在的に。若いヒトでサラリーマンにはなりたくないとか言ってるヒトたちの「ハンパ性」(造語)には辟易します。自分が若い時代にも、そういう人達はいました。まあ、そういう人達は「ハンパ性」があるがために「無事」サラリーマンになっています。
自分は、真の落ちこぼれだったわけです。サラリーマンになりたいのになれない。性格的な問題で。そもそもその世界に入ることすら叶わなかったのです。
その最初のつまずきから、10年以上かけて立ち直ってきたのです。さらに偏屈になって。。
まず、サラリーマンになれなかったことを卑屈に思うことはない、と居直るのに10年かかっています。
サラリーマンにはなれなかったけどサラリーマンが集う会社に「出勤」し、「職場」というものが楽しいという幻想を持っていた時期は確かにありました。その頃はサラリーマンになりたいという願いが今よりも非常に強かったと記憶しています。
前にも書きましたが、主体的に動ける優秀な人材が集うチームで、仕事のダイナミズムを感じていた時期です。こういう感じが続くのであれば会社というものもいいなあ、と。。
でもそれは一瞬の輝きでしかありませんでした。そもそも外注がそういうチームに配属されることは奇跡に近いのです。