元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

時間について(再々々)、物事の優先度について

トピック

  • 体調

・のどがいがいがする、少し鼻が出るぐらいで、風邪からは脱出
・左手の親指と人差し指の間に切り傷。原因不明。

外食・食べることに関して

  • ラパウザ

夕方、時間をつぶす必要があったので、喫茶代わりにラパウザを利用。こういう利用の仕方は初めてでした。
なぜラパウザかというと、19時まで生ビール中¥220だからです。生中とつまみをひとつ頼んで¥700ぐらい。。 これで1時間つぶせるのであれば納得できます。
それと今日、ラパウザではsuicaを使えるということがわかり、また自分の中で評価が上がりました。



人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • 時間の約束があいまいになってきている

この話は、結論を出さないままくすぶり続けてきましたね。。

http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061222
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061112
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061008

ですので、なんとか一旦結論を書き出して、〆ましょう。

今まで書いてきたのは、携帯の普及後、いいオトナまでもが時間を守らなくなってきているということ。なぜなら、「ごめん少し遅れる」と簡単に連絡できるようになってきたからです。
また、人どうしの時間による約束が、そもそもあいまいになってきています。「だいたい3時ぐらいで」とか。

そして、自分はそれを重大な「モラルハザード」であると感じているということ。
世の中の大部分の人は、これを日本人の重大な凋落であるとは考えていません。

確かに、もともと時間にルーズな人たちはたくさんいました。携帯電話は、彼らに都合の良い口実を与えてしまったのです。それどころか、それにひきずられてたくさんの人たちが時間にルーズになってきている。。

時間にルーズになれば生活自体もルーズになる、と私は思います。なぜならば、昔も今も1日は変わらず24時間だからです。自分で自分自身に時間の縛りをいれないと、ムダな時間が増えてゆきます。
他人のムダな時間が増えるのはその人の自業自得なので勝手ですが、それにひきずられて私のムダな時間(たとえば、待ち合わせ定刻から2、30分とか)がカウントされてゆくのをたまらなく嫌悪します。

もともと時間にルーズな人と行動をともにすることは避けてきましたが、ここ数年は世の中の大部分の人は「時間にルーズな人」に成り下がっているので、私は困っています。
私は相変わらず時間にルーズではありません。


まず、待ち合わせには早くくるほうが損である、という風潮はありますね。特にこの東京では。
約束を守るほうが馬鹿をみるのです。約束を守る人は、高い確率で遅れてくる人を「待ってあげる」ので。。遅れる人はそれに甘えています。 
10分待ったらおいてゆかれるのが当然という風潮になってゆけばよいのですが。。 今それをやると、「10分ぐらいいいじゃん」とケチ扱いされそうです。遅れてくるほうが絶対的に悪いにも関わらず開き直られる。

お金の貸し借りと似ていますね。善意で貸してあげるほうが馬鹿を見るという。


通常の知人どうしの待ち合わせは、関係性がフラットなはずなのです。遅れてくる人たちは、そのフラットな関係性に無意識のうちに優位性を持たせたいのでしょう。つまり、遅れてくることができる側のほうが「位」が上、ということです。
それが透けてみえるときが、自分は相当許せません。約束を守るほうが、人としては「位」は上のはずなのです。それなのになぜ待たされる側、つまり若干の苦痛を蒙る側にまわるのかが不明なのです。

ビジネスにおいては、どちらかが明確に優位性を持っていることがあります。優位なのは「お願いされる側」ですね。そういう場合は作戦として遅れてくることもあると思います。
まあ普通はお願いされる側は出てゆかず、自分のテリトリーで「お願いする側」を待つのが常ですが。。


知人どうしの待ち合わせでは、遅れたときの罰則はありませんからね。。
確信犯的に常に待ち合わせに遅れるような人というのは、いってみれば、罰則がないとルールを遵守しないという、集団生活の中で少しレベルが低いとみなされる側に入ります。
以前の日記に書きましたが、そういう人は、自分の利害に関係する待ち合わせは、必ず守るのですが。。たとえば、知人との待ち合わせには遅れるが、指定券をとってある新幹線には乗り遅れない(絶対に)。


ことの重要性は関係なく、何時に待ち合わせ、と決めたら、一旦「厳守」と思わなければならないのではないか? と私は思っています。

先日も書きましたが、待ちぼうけさせても怒らなそうな人だからちょっと遅れてもよいか、とか、遅れるとお金を損するから絶対行かなければならない、とか、そういう「計算」というのは、「時間」という圧倒的な存在の前ではほとんど関係ないのではないか? と思うのです。

ですが、物事にむやみやたらに優先順位をつけすぎて行動基準にしている人が、増えてきて、多すぎるのではないか、と最近感じます。(【重要】マーク)

昨今、ドタキャンが多いのもそうですね。その人にとって優先順位が上の事柄のオファーがくれば、先に決まっている約束は簡単に反故にしてしまう。(その「先に決まっている約束」が金銭的損失に直接つながる場合は別です)
先に決まっている約束というものの重みがなくなってきています。


また、会社シリーズになりますが。。

ビジネスでは、「約束」の優先順位は絶対的にあります。ビッグビジネスの商談は、すべてにおいて優先されます。(あるいは、矮小な話では「社長の呼び出し」とかもそうですが。。)
桁が違う案件の話の前では、ほとんど利益にもならない商談の約束などは、ふっとびます。


ところで、自社の人間との内部の打ち合わせには必ず遅れるが、顧客との打ち合わせには遅れない人間はいますね、必ず。
内側からみていると、そういう人間は信用ならないような気がします。対外的に信用を得ても内部の信用を得られなければ、どうしようもないのではないでしょうか。

ビジネスにおいては、内でも外でも時間を守る人でなければ。。

仕事では遅刻しないけど友人との約束には(怒られないから)安心して遅れる、といった人も、星の数ほどいますが、その裏表を明確につけているというのは、人としてどうなんでしょうね。。


この話では、「時間を守る」と「約束を守る」がごっちゃになってきているような気がしますが、時間を守る人は、「時間」以外の約束も守る人であるといってよいと思います。
つまりは、「信用できる」人です。
信用できる人の条件というのは、金銭的絡みは考えずに約束を守ること、決めたことを「愚直に」守ること。


ビジネスで成功している人たちは絶対的に時間にルーズではありません。
なぜならばそういう人たちは、時間を守ることが「信頼」の第一歩であることをよく知っているからです。商談の時間に遅れてくる会社とパートナーシップを結ぼうなどと思いますか?

私もそうありたいと思っているので、時間にルーズな人間に自分を貶めることはしません。

今後の日本では、時間管理ができるという特性が、当たり前のことではなくなり、「個性」となり得ます。悲しいことですが。。