元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

褒められないとやらない、ということ

トピック

  • 忘年会シーズン

忘年会シーズンであり、いかに自分がさまざまな部署、団体から「誘われているか」を、二日酔いの程度や胃の「フォアグラ状態」の程度で(つまり、「不健康さ」で)自慢する時期になりましたが。。

私はいたって健康です。

自分は、忘年会というものは簡単に断れると思っているのですが、これはもしかして単に嫌われている?。。
。。触れてはいけないところに触れてしまったか。。

ですが、忘年会よりも大事な自分のペース、リズムというものがある、という思いがあれば断れるでしょう。
全部断っているわけではないのです。そういう会は節目として大事だというのはわかっていますので、なるべく選んで行きたいものです。

このあたりが、集団生活に適応できないといわれる所以なのでしょうか。。
常に集団の中で生きてきたにも関わらず、常に「適応できていない」といわれ。。

それを褒め言葉と受け取れるようになったのは最近です。
この話はもう少し深く掘り下げて書けるかもしれません。


たとえば営業さんであれば、忘年会の連チャンも仕事のひとつだ、ということも、重々わかっています。
ですが私は営業さんではありませんので。。


この時期、忘年会の誘いを断るのは「他の忘年会が入ってるから」といえばいいので、簡単です。どの忘年会か? というときは、大学時代のサークルの、とか、そういう言い訳をすることが多いですね。

人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • 小ネタ

今、大きな「うねり」となりそうなトピックを探しているところですので、例によって最近考えている小ネタをいくつか書き出してゆきます。

    • 我慢が効く

ある程度、我慢がきく人間でホントによかったと思います。
たとえば、特に春や秋に多いですが、外を歩いていて、ビルに入っては上着を脱ぎ、ビルを出ては上着を着て、とせわしくしている人をみると、面倒くさそうだなあ、と思ってしまいます。
そういう人たちはおそらく、体感温度の変化に敏感で、耐えられないのだと思います。

自分は、体感温度よりも、上着を手に持って歩くことがわずらわしいので、脱いだり着たりは滅多にしません。コートは別です。
(そういえば、シャツやトレーナーを腰に巻きつける人たちもいますが。。)

これは「我慢がきく」というよりは「鈍感」。。
でも、たとえ「鈍感」であっても、自分はそれでよかったなあ、と思います。ただでさえ考えることが多い世の中で、さらに体感部分が「敏感」だったら、耐えられないような気がします。。
鈍感なのは体感部分だけで、思考のほうは敏感なので、バランスはとれています。

我慢のキャパが小さい、というのは、本当に問題だと思うのです。「思い込み」ができないといいますか。。

我慢がきかない、というのは戦前戦中世代が我々世代に苦言を呈していたことです。それを今我々が若い世代に対して感じるのですから、これはすごいこと(よっぽど)です。

    • 褒められないとやらない

モチベーションを与えられないと動かない、という受け身体質には、一定の理解を示しつつも常に違和感はあります。
「受け身体質」は会社シリーズにも関連しますが。。

褒められればやる、けど褒められなければやらない、あるいは、ノッてこない、というのは本当におかしい、というか、マズいと思います。

なぜならば、すべて自分の人生だからです。自分の人生を受動的にしたら後悔しか残らないのではないか、というのは、この私ですら、若い自分から気付いていましたから。。
実践するかどうか、よりも、この「気付き」は大事で、自分は早い段階で気付いて本当によかったと思っています。

    • まず現実逃避から

この現実から逃避したい、という発言に対して。。
これも、一定の理解を示したいところなのですが、現実としっかりと対峙してみた結果として言ってほしいものです。

自分は、昔から現実と向き合う「クセ」がついているので、本当によかったと思っています。このクセがついたのはおそらく大学の頃で、大学時代が本当にヒマだったという証でもあります。。

現実逃避を思ったり実際に逃避の真似事をしてみたところで、事態は悪化するだけです。「現実問題」を片付けてすっきりしてから遠くにいけばよろしい。

なぜ、まず途中で投げ出すことを前提に物事を考えはじめるのかが理解不能なのですが、自分の人生であっても誰かがケツを拭いてくれる(キタナい表現ですみません)という前提で物事を進めるのでふつうの考え方になっているのでしょうか。

現実から逃げ出したとして、そのツケがまわってきて苦労する人に対しては何も考えないのでしょうか。「あとよろしく」で本当によいのでしょうか。


これらはすべて反面教師ということで、自分としてはこのようにならなければよい、ということなのでそれを実践してゆければよいのかな、と思います。

話としてはこれでおしまい? もう少し深く書き出せるような気もします。

my格言

  • 言い訳するぐらいなら最初からやらない