元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

二面性への憧れ

トピック

  • メルマガ

やっと落ち着きました。。
http://merumaga.yahoo.co.jp/Detail/3840/p/1/

vol.004まで出しました。
メルマガの内容はすべて日記の抜粋、および内容の加筆修正です。。

それと、日記からピックアップした雑多なトピックはmixiに載せています。


自分について

『「苦労を今しておくこと」について』は、一旦保留にします。ただ、もうある程度の結論は見えたかもしれません。あのまま書くとただの苦労話の列挙になってしまうような気がする。。
でも、なかなか良い書き出しができました。

  • 「自分探し」

自分がやっているこの「書き出し」というのは、世間一般の迷い人が陥りやすい「自分探し」とは少し異なるような自負があるのですが。。
実際、何が違うのでしょうか。

「自分探し」に対して強烈な違和感を持っているので、それと比較しながら今度考えてみようかと思います。

  • 二面性への憧れ

一旦寝かせておいた、「二面性」への憧れについて。。

おそらく自分の思い描いている「二面性」というのは、クラーク・ケントのような、昼はしがないサラリーマン、でも本当はスーパーマン、みたいな、きわめてありがちな感じだと思います。

しばらくこの「二面性」というキーワードを頭の片隅において放っていました。「で、なに?」と問いかけながら。。

で、結論としては、「確かに『憧れ』はあるけど、現実的じゃないよね」という。。

二面性への憧れというのは、自分がルーティンワークが得意な、カリスマ性を持たない事務方(小物)であるという自覚、諦観があるがゆえに、そうでない別な存在も潜在的に内包したい(いや、内包しているはず)、という願望の表われではないかと思います。(【重要】マーク)

自分は本当は「大物」の素養ももっている、と。。

「夜は別な顔」みたいな。。 

そういう素養は自分には、「ない」、とそろそろ引導を渡したほうがよいのではないでしょうか。
(自分で自分に対して、冷たい)

まあ「見果てぬ夢」としてもっておくのは勝手ですが。。

ところで二面性といえば、自分は、マジメであるがゆえにフマジメなこと(世間的な常識からわずかにズレること)をやる、というヘンな二面性はあります。これを深く掘り下げてゆければいいのですが。

それと、このトピックに関して思うのは、「事務方」(小物)でなければ大物である(あるいは「大物予備軍」である)、という理屈が成り立つはずがない、ということです。
これを勘違いしている人たちは多いような気がします。

自分の器を見積もれない、「事務方」にすらなれない小物の方はたくさんいます。
その思いが、今まで「横文字職業に対する嫌悪感」につながっていったのですね。

話がうまくリンクしました。。