元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「苦労を今しておくこと」について(3)

トピック

  • 携帯電話の使い分け

仕事の用事で自分の携帯から電話しなければならないとき、その分の請求をどこにも出来ないから損した気分になる、という話をしたら、「フリーで仕事されているんだから当然では?」という反論が、とある会社の会社員の方から返ってきました。
この「刷り込み」が怖すぎます。会社員になるとこういう思考になるのだなあ、と感じた瞬間でした。

この会社員の方の意見を、「もっともだ」という人は多いのでしょう。
この溝は永久に埋められません。私がこれを「刷り込みだ」と考えることすら「?」なのでしょうから。。

ところで昔は、「仕事で急な用事」とかいって休日に自分の携帯に留守電を残しといて「すぐに連絡ください」とのたまう人もいましたね。。



自分について

  • 「苦労を今しておくこと」について(3)

私の中では、予想外で盛り上がっているこのトピックです。。

なぜ自分が「苦労は今しておかなければならない」と思っているか、それは、「my心の履歴書」を充実させたいからである、ということになりました。

ということは、特に「苦労」でなくとも、「経験」でよいのではないか、という意見もあります。

? 昨日の結論は間違っている?
矢沢永吉さんの逸話の、上京するときは「夜汽車でなければならなかった」というのは、上京するときに特急電車を使わないことによって「苦労」の1ページを刻まなければならないから、という解釈です。

「my心の履歴書」を充実させたい、のではなくて、「my心の履歴書」には苦労をしたっぽい経歴を「それなりに」刻み込みたい、ということでしょう。
おおよそ合っていますが微妙なニュアンスが異なります。

昔の「自分について」で、中学校の頃はよかった、といったような書き出しをしていますが、記憶をたどると高1のときから、この思いでバイトを始めたようです。もちろんその頃は「苦労をしなければ」という思いが具体的に言葉になって現れることはありませんでしたが、今思うと「苦労」と思えるのです。

そのバイトは全く無用で、する必要のないものでした。
不良が集まる喫茶店兼ゲームセンターみたいなところで、私のような弱気な人間では勤まるわけもなく。。全く場違いでした。なぜ自分がそこのバイトの面接に行ったのか、すらわかりませんし、おぼえていません。

土日のみでしたが、結局3ヶ月ぐらいで辞めてしまったのだと思います。バイトの本来の目的である「お金」も、ほとんど稼げませんでした。それどころか、最後の勤め分のいくらかは、バイト代を取りにいってないはずです。

が、自分の判断基準の中で、これを「苦労」と認定した時点で、無用な行動が、無用ではなくなるわけです。
ここには、親や他人の判断基準は入ってきません。他人には自分がバイトしているのは間違いなく無用な行為とうつっていましたが、自分が満足すればそれでよいのです。

こうして自分の「偽」苦労人生が始まりました。。


ここまで考えると、「苦労をしなければ」と思い続けている時期(高校〜現在)は、幸せではないということになり、この考えを捨てきれたときに「幸せだな〜」としみじみ思える日がくるのでしょうか。
果たしてそうだろうか。。


まだまだ続きそうですが。。 何を結論として出したいのか、を明確にしないとダレますね。