元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

引用

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【三不幸】

伊川(いせん)先生言う、人、三不幸あり。

少年にして高科に登る、一不幸なり。

父兄の勢に席(よ)って美官となる、二不幸なり。

高才有って文章を能(よ)くす、三不幸なり。

 (『伊川文集』)

年の若いのにどんどん上へあがる。世の中はこんなものだと思ったら大間違いである。

というのは修練というものを欠いてしまうことになるからで、これは不幸である。

これは官ばかりではない。親のお陰で若輩(じゃくはい)が重役になったりする、みな同じことである。

またいろいろのすぐれた才能があって、文章を能くする、──文は飾る、表わすということで、つまり弁が立ったり、文才があったりして表現が上手なこと──これも大きな不幸である。

今日は選手万能の時代で野球とか、歌舞とか、若くてできる者にわいわい騒ぐ。これは当人にとって、大きな不幸であります。

若くてちょっと小説を二つ三つ書くと、たちまち流行作家になって大威張りする。

小娘がちょっと歌や踊りができると、やれテレビだ映画だ、と引っ張り出して誇大に宣伝する。つまらない雑誌や新聞がそれをまたデカデカと報道する。

変態現象と言うか、実に面妖(めんよう)なことで、決して喜ばしい現象ではない。

 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=746&category_cd

(引用おわり)

「高才有って文章を能(よ)くす」が不幸であるという解釈は目からウロコでした。

僕などはマスコミの寵児となり、華々しく登場してくるヒトたちに対して相当の嫉妬心を持っていたものでした。

今は、そういうココロがだいぶ消えてきました。ゼロにはならないと思います。

そういえば自分は、20年ぐらい前から、何の根拠もなく「自分は大器晩成型である」と思い続けてきたのでした。。「若くして」の才がなかったために。