元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

寿命について

本来の日記部分

時間がとれないという焦りが若干あります。
その理由として、いろいろな仕事が自分に寄せられすぎじゃないのか? という不満。。

仕事を放棄するヒトは、対価としてのおカネはあきらめてほしいものです。あたりまえのことだと思うのですが。。

仕事もしない、おカネには貪欲に執着する、楽したい、というヒトはひとことでいえば「ふざけている」と思っています。

再録・継続

寿命に関して【重要】
死ぬ瞬間を考えるとぞっとする、というのはあります。
それがイメージではなくて現実として自分に「きた」のは、全身麻酔の手術をしたとき。
麻酔だ、といわれて最初、背中かどこかに注射をして、その後、何かの気体を器具ですーっと吸ったときに(ドラマで、病院で手術するときによく出てくるアレ)最初、全然眠くならねーじゃん、と思いました。
でも、次の瞬間にはたぶんコテっと眠っていて、起きたのは10時間後ぐらい、手術後。
起きて自分を待っていたのは「激痛」でした。。

そのことを後から思い返すと、死ぬのはカンタンだな、と思います。麻酔でコテっといってしまって、その後、手術で失敗していたら、自分は永遠に甦ってこなかったわけです。
すべてを術者に委ねている状態。
実際、手術のときは、コトの重大さに全く気付いていませんでした。いや、気付いてはいたけれど、それを意識下に表面化させたらやってられんと思い、身体と精神が勝手にセーブしたのかもしれません。

あの経験は強烈だったと思う。
補足すると、その手術というのは決して、成功率が高いものではなかった。失敗すると即、死、というわけではないが(失敗とは、後遺症が残るとかそういう意味)術後にコテっと死んでしまう可能性もあったのです。

という話をあらためて、イトイ新聞の、藤田元司プロ野球監督の対談を読んで、思い出しました。

死ぬことを考えるとぞっとするけど、もういつでもいいや、という気分にはならない。まだまだ。

ふだん寝るときは、特に恐怖は感じません。100%、次の日も起きるだろうと思っている。
それは、確信があります。手術という、「死」というモノにぐっと近づいた状態とは全く違うからです。
「死」にぐっと近づくというのは、ヒトはわかるものなのです。